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世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

携挙(けいきょ)とは  空中再臨とは 地上再臨とは ~正しい理解のために~ What is rapture  What is the Second Coming in the Air  What is the Second Coming of the Earth ~ For proper understanding ~

 

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携挙(けいきょ)とはギリシア語で「ハルパゾー」(άρπάζω) 英語ではrapture 意味としては、①ひったくる(奪い取る)、②さらって行く、③つかまえて連れて行く(無理やりに連れて行く)です。そのようにして雲の中に、つまり、空中に一挙に引き上げられることを意味します。

 

空中で主であるイエスキリストに会うことを空中再臨といいます。

 

そして7年間の大艱難時代の最後に来られることを地上再臨といいます。

 

つまり反キリストがイスラエルとの平和条約を結び、

平和条約締結して3年半後に

反キリストが自分を神として崇めろとエルサレムの神殿で宣言します。

患難時代には地球上の人々が数多く亡くなり、世の中がボロボロの状態になった平和条約締結して7年後に、

反キリスト、及び悪を滅ぼすために

エスキリストが地上再臨します。

 

福音を得た方は携挙されます。

福音を得た方は大患難時代を過ごすことはありません。

クリスチャンは終わりの日が不意に襲うことはないと書かれています。

ただし携挙がいつ起こるかは御父以外だれも知らない、イエスキリストさえも知らないと聖書には書かれています。ですので携挙がいついつ起こると断定して言っている者は偽りです。

 

「ただし、 その日、 その時がいつであるかは、 だれも知りません。 天の御使いたちも子も知りません。 ただ父だけが知っておられます。気をつけなさい。 目をさまし、 注意していなさい。 その定めの時がいつだか、 あなたがたは知らないからです。」(マルコ13:32-33)

「ただし、 その日、 その時がいつであるかは、 だれも知りません。 天の御使いたちも子も知りません。 ただ父だけが知っておられます。」(マタイ24:36)

「だから、 目をさましていなさい。 あなたがたは、 その日、 その時を知らないからです。」(マタイ25:13)

 

 

テサロニケ人への手紙4章3節 

 

神のみこころはあなたがたが清くなることであるすなわち、不品行を慎み、 各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、 神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、 また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない。前にもあなたがたにきびしく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて、報いをなさるからである。 神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。 こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。 兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、 また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。しかし、兄弟たちよ。あなたがたに勧める。ますます、そうしてほしい。 そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。 そうすれば、外部の人々に対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろうだから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい

 

 

テサロニケ人への手紙5章

 

兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。 あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。 人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。 しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。 あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。 だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。 しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。 キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。 だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。 兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、 彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。 兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。 だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。 御霊を消してはいけない。 預言を軽んじてはならない。 すべてのものを識別して、良いものを守り、 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。 あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。 兄弟たちよ。わたしたちのためにも、祈ってほしい。 すべての兄弟たちに、きよい接吻をもって、よろしく伝えてほしい。 わたしは主によって命じる。この手紙を、みんなの兄弟に読み聞かせなさい。 わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。

 

 

 

ヨハネ福音書14章1~3節

あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 

 

 

ヨハネの黙示録19章6章

「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。 わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。 彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。 それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。

 

 

上記全ては、花婿であるイエスキリストが花嫁(真のクリスチャン)となる教会(真のクリスチャン自身)を迎えに来る空中再臨を預言しているのです。

 

 

 

まとめ

  • 聖書の約3割は預言であり、現在まで神が全て完璧に預言が成就されている。(聖書を読んでいただき確認してくださいね)
  • 神が人類の救済のために神の御子であるイエスキリストが来ることをキリスト初臨以前の旧約聖書のいたるところに記載されている。
  • エスキリストの復活を目の当たりにした使徒によって福音が現在まで述べ伝えられている。現在までキリスト教徒20億人以上 全ての宗教の中で最も多い。
  • 聖書の中に携挙に関する預言が多数存在し、来るべき大艱難時代から真のクリスチャンを救うために携挙があると書かれている。
  •  私たちが知らなければならないことは、教会の時代(教会とは真の信仰があるクリスチャン)はキリストの空中再臨とクリスチャンの携挙によって、突然に終わりを告げるということです。患難時代の後に来るキリストの地上再臨の時には多くのしるしと前兆が伴います。しかしキリストの空中再臨と教会の携挙前には何の前兆もありません。突然に来るのです。ですから、いつそれが起こってもいいような生き方をする必要があります。
  • 教会の携挙は艱難時代が始まる前に起こります。信じがたいことですが、このことをしっかり信じて生きることが大切です。携挙の後に来る患難時代の苦しみを知る時、携挙は私たちに大きな慰めと励ましを与えます。今は「恵みの時、救いの日」です。ですから、「私たちは、見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めましょう。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:18)。そこに目を向けながら、「天からの住まいを着る」(Ⅱコリント5:4)ことを私たちの唯一の望みとして、キリストによって新しくされた「内なる人」が日々新しくされていくことを期待したいものです。

 

 

以下のサイトは全て携挙について書かれています。

皆さまは聖書と照らし合わせて確認していただき

一日も早く福音を得られることをお祈り申し上げます。

 

キリストの空中再臨と教会の携挙 - 牧師の書斎

キリストの空中再臨と教会の携挙 (その二) - 牧師の書斎

 

www.youtube.com

http://www.divineus.org/images/The_Mystery_of_the_Rapture.pdf

 

 

 

www.youtube.com

 

true-ark.com

osusowake.hatenablog.com

 

世界一のベストセラー聖書が教える!真の自由をもたらす七つの真実 | True Ark Bible

大患難時代―携挙、反キリスト、キリストの再臨|聖書預言―終わりの日 | True Ark Bible

 

http://www.harvesttime.tv/assets/PDF/Seminars/Fruchtenbaum-2014-PretribulationalEvents.pdf

 

聖書

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hukuinn.hatenablog.com

2017-01-01から1年間の記事一覧 - 世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

 

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人類の罪とは What is human sin?

ローマの信徒への手紙1章18節

 

神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。 なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。 彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。 ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。 彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。 それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。 すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。 彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている

 

いかがでしょうか?

今現在、上記に該当する人、または集団はどこにたくさん存在するでしょうか?

 

神は全てを見抜いておられます。

 

主の日においてこれらの全ての悪は滅ぼされます。

 

一日も早く福音を得て、これらの悪から身を清めなければなりません。

 

さもなければ共に滅ぼされ、永遠の地獄に行くことになってしまいます。

 

 

神の正しい裁き

ローマの信徒への手紙2章1節

だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。 わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。 ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。 あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。 すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、 他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。 悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、 善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる。 なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。 なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである。 すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。 彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。 そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。

 

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聖書における、肉とは、 霊とは In the Bible, What is meat? What is a spirit?

ガラテヤ人への手紙5章

の働きは明白である。すなわち、

不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

しかし、御霊の実は、

愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。 互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。

 

上記にあるような肉の働きが今までなかったという方はいらっしゃいますでしょうか?

 

私は福音を得る前は恥ずかしながら、肉の働きに従う人生でした。

 

人により肉の思いの強弱はありますが基本的に人は生まれながらに肉の性質を持って生まれてきます。

 

エスキリストも同様に神でありながら、マリアに受胎してから、マリアが引き継ぐ第一の人アダムからの肉の性質を受け継いだ人となられました。

 

エスキリストも生涯を過ごす中で私達と同様に肉の誘惑にさらされ、そしてそれに完全に打ち勝たれました。

ですからイエスキリストは私たちの全ての気持ちをわかっていただけるのです。

 

ローマ人への手紙8章

こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。 これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。 なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。 肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。 7なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。 また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。 しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。 もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。 もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。 それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。 なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。 被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。 実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。 わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。 もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。 御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。 そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。 それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。 「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

 

 

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御父 御子 聖霊(御霊)   三位一体とは What is the Father  What is the Son What is the Holy Spirit  What is the Trinity

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参照サイト

神と人との交わりの基礎としての三位一体(Trinity) - 牧師の書斎

 

神は、「御父」「御子」「聖霊」なる三つの位格において存在され、その実体において唯一の神であることを意味します。

 

3=1、1=3の世界これは合理的に説明することはできない非合理の世界です。しかし合理的に説明できなくとも、御父、御子、聖霊なる神は、永遠なる交わりの神秘の中に存在しています。

 

御父=創造主

御子=イエスキリスト

聖霊=福音を得たかたの元に来られる神のご性質

 

父、子、聖霊の御名によって  洗礼のめぐみとは

マタイの福音書28章19節には「父、子、聖霊の御名によって」と言って洗礼を授けるように命じている。

「父、子、聖霊によって」ということばの意味を正しく理解するためには、「~によって」ということばに注意する必要がある。ギリシャ語原文では、εισ(エイス;~のうちに)という前置詞が用いられている。つまり正確には「父、子、聖霊の御名のうちに(入れる)」というニュアンスである。つまり、「その方の覆いの下に入り、その方のものとなる」ことを意味する。つまり、「三位一体の神の交わり(永遠のいのち)の中に入っていく」ということである。このように、洗礼を受けるとは、聖なる神の、永遠の愛の交わりの中に生かされる新しい歩みが始まるということである。

 

 

福音を得た方は間違いなく聖霊が皆様の内に来られます。

聖霊の力がなければイエスキリストが私達の主であると信じ、言い表すことができません。

聖霊の働きによって、道引きによって皆様が自然に変化していきます。

 

 

 

 

 

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イエス・キリストとは What is Jesus Christ?

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福音を得る前は

私はイエス・キリストだと思っていました。

知っていたことといえば 

クリスマスがキリスト誕生日(実際にはこの日ではないと言われています)

最後の晩餐の絵

十字架に架けられた

などぐらいで、深く考えたことがありませんでした。

 

皆さんはいかがですか?

 

聖書を読み続ければ、

であり、

神の御子である

エスキリストが本当に私たちの罪を背負うためにこの世に来られ、十字架にかかることで、

全ての人の全ての罪を、精算していただいたことがわかります。

hukuinn.hatenablog.com

 

まさか神であり、神の御子である方が 人となってこの世にきたなんて始めは信じられませんでした。

 

今日は日本ではよく知られていない、このイエスキリストについて解説していきましょう。

 

イエス・キリストとは

ヘブル語では「イェシュア・ハマシーアッハ」

ギリシャ語では「イエスース・クリストス

英語では「ジーザス・クライスト」(Jesus Christ)

と言います。

イエス・キリスト」というのは、

エスが名前で、

キリストは苗字ではなく、

「キリスト」とは職名です。

 

 


エスという名の意味

「イエス」という名は旧約聖書に登場するモーセの後継者ヨシュアギリシア語訳「イエスース」から来ています。

ヘブル語では「イェシュア」で、

神(主)は救いという意味です。

 

 

「キリスト」とは、神の働きのために特別な力と権威を授けるため「油注がれた者」を意味します。

 

旧約聖書では、「王」 「大祭司」 「預言者」にのみ任職の油が注がれました

 

したがって、「イエス・キリスト」とは、イエスが神からの任職の油を注がれた「王」であり、「大祭司」であり、「預言者」という表現なのです。

 

初代教会においては、「イエスがキリストであった」ということが「良き知らせ」(福音)でした。

この福音が人々を救うので、「救い主」とも言われているのです。

「救い」は「福音」からもたらされるのです。

 

以下のサイトにて詳しく書かれています。

序 「イエスはキリストです」 - 牧師の書斎

 

 

 

聖書には旧約聖書新約聖書とがあります。

共に神の霊により人に書かせたものであるとされています。

約とは神との契約という意味です。

エスキリストが新しい契約 イエスキリスト以前を旧約といいます。

 

旧約聖書にはイエスキリストが人として来る前からイエスキリストの事が書かれています。

 

旧約聖書だけを信じているのがユダヤ人です。

 

旧約聖書に書かれている救世主をイエスキリストであると認めず、現在も救世主が来ることを待ち望んでいます。新約聖書を認めていません。

 

ただし、ユダヤ人がイエスキリストを信じない事は神の今後のご計画により信じていません。

 

創世記 12章1~3

 主はアブラムに言われた。
「…あなたを祝福する人をわたしは祝福し
 あなたを呪う者をわたしは呪う。
 地上の氏族はすべて
 あなたによって祝福に入る。」

アブラムは後にアブラハムといわれユダヤ人の祖です。

ですので今後、ユダヤ人を通して最終的に全ての国民が祝福に入るという神のご計画があります。

 

真のキリスト教徒は旧約聖書新約聖書共に信じています。

 

 

エスキリストに関する預言は、旧約聖書の中にたくさんあります。多くの解釈者たちは、メシヤについての預言は何百もあるといいます。 以下は、その中でも最も明確で重要だとされる預言です。

 

エスのご降誕について

 

イザヤ7章14節

紀元前8世紀(キリストが生まれる800年前)の預言者イザヤが書いたもの

 

「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名つ”ける。」

 

イザヤ9章6節

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその方にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」  

 

ミカ5章2節

ベツレヘム、エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、私のために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から永遠の昔からの定めである。」
時代がすすんでBC一九世紀になると、キリストがイスラエル民族の「ユダ」の部族に生まれることが、予言されました。

 

創世49章10
 「つえはユダを離れず、立法者(神)のつえは、その足の間を離れることなく、シロ(究極的にはキリストを意味する)の来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う」
 さらにBC1000年頃になると、予言はさらに詳しくなります。キリストはユダの部族の「ダビデ王」の家系に生まれることが、予言されるのです。


詩八九・二九、三六 

「わたし(神)は、彼(ダビデ)の家系をとこしえに堅く定め、その位を天の日数のようにながらえさせる。・・・・・・彼の家系はとこしえに続き、彼の位は、太陽のように常にわたしの前にある」
 この言葉は、イエス・キリストダビデの子孫として生まれ、私たちの救い主、また「王の王、主の主」として立てられたことによって、その究極的な成就を見ました。この予言通り、キリストはダビデの家系であるヨセフとマリヤの家に、ご降誕されました
 

このように、キリストはまず人類の中に降誕することが予言され、つぎにイスラエル民族の「ユダ」の部族、またユダ族のダビデ王の家系に生まれるというように、時代が進むごとに、予言がせばめられていったのです。

 



エスの宣教活動とその死に関して

ゼカリヤ9章9節

「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和でロバに乗られる。それも、雌ロバの子の子ロバに。」  

 

詩篇22篇16-18節

「犬どもが私を取り囲み、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。私は私の骨をみな数えることができます。彼らは私を眺め、私を見ています。彼らは私の着物を互いに分け合い、私のひとつの着物をくじ引きにします。(十字架での預言)

イザヤ書の53章

だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。

ダニエル9章の七十週の預言は、イエスキリストが断たれるその日を正確に予告しています。イザヤ章6節では、イエスが受けられたむち打ちに関して正確な預言があります。 ゼカリヤ12章10節は、メシヤが突き刺されること、それは、イエスが十字架で亡くなられたあとに起こったことですが、それを予告しています。他にも多くの例を書かれています。旧約聖書は、イエスキリストが救世主として来られることを、預言しています。

 

 

 

この神が与えた旧約聖書の預言どおりに、

預言通りの系図で救世主として生まれ

かつ、預言通りに全ての人の身代わり、

全ての人類の罪を精算していただいた方が、

エスキリストなのです。

 

エスキリストは神であり、神の御子でありながら、

おとめマリアの中に受胎され、人の子としてお生まれになり、

また生涯、一切の罪をおかさずに、人々の全ての罪の身代わりとなるために、十字架にかけらました。

 

そして墓に葬られた、三日後に創造主である神が、

神の御子であるイエスキリストを死から復活させられた。

そしてイエスキリストの復活を信じる全ての人が救われるようになりました。

 

エスキリストには十二人の弟子がいました、

エスキリストのそばで三年間にすべてのことを学び、数々の奇跡を目の当たりにしていました。

 

弟子たちには何度となく、人々のために十字架にかかり、三日後に復活すると伝えていました。

 

しかし十字架にかけられる前には、全員がイエスキリストを信じることができずに裏切りました。

 

弟子たちはイエスキリストの復活を見ました。

 

復活を実際に見ることにより、イエスキリストが神の御子であるということを信じました。

 

十二人の弟子はヨハネ以外は全て殉教でした、拷問にかけれてもなお、イエスキリストを信じる、福音を伝え、広め続けたのはやはり、イエスキリストが復活されたのを見たからではないでしょうか?

 

私もこのことを読んでからイエスキリストの復活確信に変わりました。

 

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エスキリストが十字架にかかったことなどはご存知だと思います。最近はイースター(復活祭)などもテレビなどでも伝えられているので知っている方も多いと思います。

 

約2000年前に旧約聖書が示すとおりに、ユダヤ人の地にイエスキリストが救世主として現れた。

 

しかし、ユダヤ人が救世主として受け入れなかった、つまりは福音を受け入れなかった。

 

そのためにその福音が異邦人(ユダヤ人以外の人)のもとに今現在まで世界中に広がっている。

 

現在は世界人口75億人弱です。

その内キリスト教信仰者は約22億人(約33%)と言われています。

 

聖書は世界2479の言語で翻訳され 現在まで4000億冊以上発行されています。

 

日本では1874年~2004年に3億4584万1334冊が頒布されています。

日本ではクリスチャン人口は1%を超えたことがないと言われています。

 

現状は非常に少ないです。

 

 

 

西暦表記で日常を過ごし、クリスマスを祝い、イースター(イエスキリストの復活祭)を知り、

聖書は今は無料アプリで見ることが出来る時代です。

 

聖書

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神様は皆さんに気づける全てのことをしてくださってます。

あとは皆さんが創造主とイエスキリストを信じ、福音を得て救われるのを待っているのです。

 

 

マタイによる福音書24:14

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

 

 

 

それでも受け取らないというのなら、7年間の大艱難の試練を通じて神を信じるか、信じないかの選択をしなければなりません。

 

 

主の日とは

七年間の大艱難時代を指します。

創造主である神からの破壊が来る時であり、残酷な日であり、主の燃える怒りの日と言われるのです。

 

反キリストを含めた悪を行う者

エスキリストを信じずに福音を最後まで得なかったものは大艱難の末に滅ぼされます。

 

しかし神の御心は以下のように

テモテ第一2:4

 神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

 

ペテロ第二3:9

ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう

 

 

エスキリストが大艱難時代の最後に再臨し、全ての悪を滅ぼしてからイエスキリストが統治する千年王国が始まり、その後永遠の御国になります。

 

 

はまだ福音を誰でも自由に得ることが出来る時代です。

 福音を得た人は、終わりの日に大艱難に会うことがありません。

 

これから世界は聖書が示すとおり国と国とが対立するようになり、

反キリスト(暴君)が現れてからは自由にキリストを信仰することができなくなります、つまり福音を得ることが命懸けの時代に一気に変わります。

 

今はその主の日の兆候が今にも整いつつある状況です。

 

マタイ24章3節 終末の徴

人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない

民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国(みくに)の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

 

 

ですので今、 福音を得ていただくことが大切なのです。

 

 

 

ヨハネ福音書14章6

わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

 

 

 

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福音を受け取りたい方へ To those who want to receive the gospel

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ず静かなところで一人になれるところに行ってください。

 

そして心を静めて、出来るだけ、ご自身が子供に戻ったかのように素直な気持ちになってくださいね。

 

 

リラックスしてください。 

 

 

準備はいいですか?

 

 

 

 

 

 

 今、あなたは神様の前にいます。

 

 

ではまず、心の中で、神様から背いていたことを罪だと認めてください。

 

そして 「神様、すいませんでした。」と心から謝りましょう。

 

今まで神から離れていたことを素直に認め、

今、神の元に立ち返る決心をして下さい。

 

そうすると神様が皆様の罪を赦していただけます。

 

それと同時に神のご性質である聖霊も皆様の内に住まわれます。

 

 

 神であり、人としてこの世にこられたイエスキリストが、私たち全ての人の罪を、身代わりとして背負って下さったこと。

そしてその、

①イエスキリストが私たちの罪のために死なれたこと。

②墓に葬られたこと。

③3日目に復活し、多くの人の前にあらわれたこと。

 

以上のように神がイエスキリストを死者の中から復活させられたことを心から信じます。

 

そして

 

「イエスキリストが私たちの主である」と口で言ってください。

 

 

 

 

 

 

おめでとうございます!!!

 

 

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福音を信じ、口で言い表した皆様は確実に神の救いと恵みを受けました。

 

聖霊の働きがないと口で言い表すことができません。

 

一度、福音を心で信じ、口で言い表した皆様は絶対に救いから漏れることはありません。

 

ですから救われているかどうか不安になる必要は今後ありません。

 

今日この時まで、あなたを救いに導くために、あなたのことを神様が支え続けていただいたことに感謝しましょう。

 

 

 

 

ローマ人への手紙10章9節

自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

 

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教会の意味 結婚式の意味 Meaning of the church The meaning of the wedding

私は昔、教会で結婚式を挙げました。

当時の私も妻も、特になんの信仰もない人間でした。

ただなんとなく、妻が言うがままに和式ではなく様式で教会で挙げました。

ただおしゃれな感じがあったからだと思います。

ハワイで挙式を挙げ、親族だけで挙げました。

それぞれの親、兄弟、姪っ子などが来て楽しく過ごせました。

今から思えばその頃からも、家族みんながイエス・キリストに招かれていたのだなーっと感じます。

早くこのことに気づいてくれーっと願う毎日です。

 

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キリストにおける結婚とは

新郎イエスキリストと新婦である真のキリスト信者との結婚を意味します。

いま新郎であるイエスキリストは新婦のために結婚式の準備をしていただいている期間です。

エスキリストがいつでも迎えに来てもいいように身を整えていなければなりません。

このことについてわかりやすく書いていただいているサイトがあります。

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 福音を受け取られる方は 

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