世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

携挙(けいきょ)とは  空中再臨とは 地上再臨とは ~正しい理解のために~ What is rapture  What is the Second Coming in the Air  What is the Second Coming of the Earth ~ For proper understanding ~

 

 

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携挙(けいきょ)とは

ギリシア語で「ハルパゾー」(άρπάζω) 

英語ではrapture 

意味としては、

①ひったくる(奪い取る)、

②さらって行く、

③つかまえて連れて行く(無理やりに連れて行く)です。

 

そのようにして雲の中に、つまり、空中に一挙に引き上げられることを意味します。

キリストの空中再臨と教会の携挙 - 牧師の書斎 

 

 

 

携挙とは真のクリスチャンと過去に真のクリスチャンとして亡くなった方々が、創造主の号令の元、一気に空中まで引き上げられることを「携挙」といいます。

 

そしてその創造主の号令の元に、主であるイエスキリストが、携挙によって空中まで引き上げられた真のクリスチャンを迎えに行くために天(第三の天)から空中まで下って来られることを空中再臨といいます。

 

 

 

そして、その後年間の大艱難時代の最後に来られることを地上再臨といいます。

 

 

反キリスト(この世を征服しようと企てる支配者)がイスラエルとの平和条約を結ぶことによって7年間の大艱難時代が始まり、

平和条約締結して3年半後に

反キリストが「私を神として崇めろ!」とエルサレムの神殿で宣言します。

 

 

大患難時代には地球上の人々が人類史上にないほどの戦争、飢饉、災難、苦難が襲いかかり、世の中がボロボロの状態になった後、反キリストとイスラエルとの平和条約締結して7年後、大艱難時代の最期に

反キリスト、及び全ての悪人や悪そのものを滅ぼすために

エスキリスト地上再臨します。

 

 

 

、日本人に「携挙」とは何かを理解している人はほぼいません。

 

クリスチャンと言われている人々でも携挙の意味を知っている人は極わずかです。

 

 

 

 

さんはニコラス・ケイジの「レフトビハインド」という映画はご存知ですか?

 

日本では2015年6月に公開されました。

 

eiga.com

 

小説「レフトビハインド」を映画化したものです。

レフトビハインド - Wikipedia

 

の小説「レフトビハインド」は1995年から発売され全米で6500万部売り上げた(聖書の知識があるアメリカでは、大ベストセラーになるほど興味をもって読んだということです)

小説の内容は

「時は近未来、最後の審判が迫り「ヨハネの黙示録」の聖書預言が実現していく世界を描く。「艱難前携挙説」の立場をとっており、「携挙」によって信心深い人々や幼い子供が姿を消すところから物語が始まる。」となっております。

その他携挙を題材とした映画「リメイニング」「人間消失」

 

 

 

 

リスト教徒が多い国々で、真の信仰のある人々は携挙とは何かを知っています。

 

しかし携挙を知っているだけでは救われません。

 

携挙は現実に起こる事実として備え、聖書に書かれているとおり、創造主である神以外はだれも携挙が起こる時を知らない。

 

だから真のクリスチャンは携挙があることを信じて、真の信仰に立って、日々生きている。このことが一番大切なのです。

 

 

 マタイによる福音書 24

36その日、その時は、だれも知らない。(携挙の時)天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。

37人の子の現れる(空中再臨)のも、ちょうどノアの時のようであろう。

38すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。

39そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。

40そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ(携挙)、ひとりは取り残されるであろう。

41ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ(携挙)、ひとりは残されるであろう。

42だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。

43このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。

44だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時人の子が来るからである。

45主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。

46主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。

47よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させる神の国を引き継ぐ)であろう。

48もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、

49その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、

50その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、

51彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 

 

 

 

 

 

福音を得た方は携挙されます。

 

福音を得た方は大患難時代を過ごすことはありません。

 

真のクリスチャンは終わりの日が不意に襲うことはないと書かれています。

 

ただし携挙がいつ起こるかは御父以外だれも知らない、エスキリストさえも知らないと聖書には書かれています。

 

 

ですので携挙がいついつ起こると断定して言っている者は偽りです。

 

 

 

マルコの福音書13章32-33

「ただし、 その日、 その時がいつであるかは、 だれも知りません。 天の御使いたちも子も知りません。 ただ父だけが知っておられます。気をつけなさい。 目をさまし、 注意していなさい。 その定めの時がいつだか、 あなたがたは知らないからです。」

 

 

マタイの福音書24章36

「ただし、 その日、 その時がいつであるかは、 だれも知りません。 天の御使いたちも子も知りません。 ただ父だけが知っておられます。」

 

マタイの福音書25章13

「だから、 目をさましていなさい。 あなたがたは、 その日、 その時を知らないからです。」

 

 

コリント人への第一の手紙 15章

1兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。

2もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。

3わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、

4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、

5ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。

6そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。

7そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、

8そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。

9実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。

10しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。

11とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのである。

12さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。

13もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。

14もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。 15すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。

16もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。

17もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。

18そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。

19もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。

20しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。

21それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。 22アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。23ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト(十字架から三日後の復活)、次に、主の来臨(携挙、空中再臨)に際してキリストに属する者たち、

24それから終末(地上再臨)となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。

25なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。

26最後の敵として滅ぼされるのが、死である。

27「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。

28そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。

29そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。

30また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。

31兄弟たちよ。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつき持っている誇にかけて言うが、わたしは日々死んでいるのである。

32もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つのか。もし死人がよみがえらないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。

33まちがってはいけない。「悪い交わりは、良いならわしをそこなう」。

34目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなたがたのうちには、神について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのだ。

35しかし、ある人は言うだろう。「どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか」。 36おろかな人である。あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないか。

37また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではない。麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎない。

38ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる。

39すべての肉が、同じ肉なのではない。人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。

40天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。

41日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。

42死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、

43卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、

44肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。

45聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。

46最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。

47第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。

48この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。

49すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。 50兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。

51ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。(携挙)

52というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。

53なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。

54この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。

55「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

56死のとげは罪である。罪の力は律法である。

57しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

58だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。 

 

 

 

 

テサロニケ人への手紙4章3節 

 神のみこころはあなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、 各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、 神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、 また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない。前にもあなたがたにきびしく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて、報いをなさるからである。 神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。 こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。 兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、 また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。しかし、兄弟たちよ。あなたがたに勧める。ますます、そうしてほしい。 そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。 そうすれば、外部の人々に対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる(空中再臨)その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い(携挙・空中再臨)、こうして、いつも主と共にいるであろうだから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい

 

 

 

テサロニケ人への手紙5章

 兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。 あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。 人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。 しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。 あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。 だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。 しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。 キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。 だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。 兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、 彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。 兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。 だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。 御霊を消してはいけない。 預言を軽んじてはならない。 すべてのものを識別して、良いものを守り、 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。 あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。 兄弟たちよ。わたしたちのためにも、祈ってほしい。 すべての兄弟たちに、きよい接吻をもって、よろしく伝えてほしい。 わたしは主によって命じる。この手紙を、みんなの兄弟に読み聞かせなさい。 わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。

 

 

 

ヨハネ福音書14章1~3節

あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 

 

 

ヨハネの黙示録19章6章

「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。 わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。 彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。 それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。

 

 

上記全ては、花婿であるイエスキリストが花嫁(真のクリスチャン)となる教会(真のクリスチャン自身)を迎えに来る携挙と空中再臨を預言しているのです。

 

 

 

 

まとめ

聖書の約3割は預言であり、現在まで神が全て完璧に預言が成就されている。(聖書を読んでいただき確認してくださいね)

 

神が人類の救済のために神の御子であるイエスキリストが来ることをキリスト初臨以前の旧約聖書のいたるところに記載されている。

 

エスキリストの復活を目の当たりにした使徒によって福音が現在まで述べ伝えられている。現在までキリスト教徒20億人以上 全ての宗教の中で最も多い。

 

聖書の中に携挙に関する預言が多数存在し、来るべき大艱難時代から真のクリスチャンを救うために携挙があると書かれている。

 

私たちが知らなければならないことは、教会の時代(教会とは真の信仰があるクリスチャン)はキリストの空中再臨とクリスチャンの携挙によって、突然に終わりを告げるということです。

 

患難時代の後に来るキリストの地上再臨の時には多くのしるしと前兆が伴います。  

 

しかしキリストの空中再臨と教会の携挙前には何の前兆もありません。突然に来るのです。ですから、いつそれが起こってもいいような生き方をする必要があります。 

大艱難に携挙は起こります。艱難中期、艱難後期に携挙が起こる説ならば、多くのしるしと前兆が起こるため、携挙の時期が理解できます。

 

つまり艱難中・後期説は艱難が始まってから準備しても「携挙」に間に合うということになります。

 

 

のクリスチャンとして、キリストの弟子として、キリストの体の一部として、日々、生きるためには艱難前に携挙があると信じて、聖書の御言葉に従い、生きることこそが、聖書の内容と照らし合わせてみても整合性があります。

 

教会(真のクリスチャン)の携挙は大艱難時代が始まるに起こります。信じがたいことですが、このことをしっかり信じて生きることが大切です。

 

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たち、真のクリスチャンができることは、携挙が大艱難時代に起こると信じ、まだ福音を聞いたことのない人々に、まだ福音を得ていない人びとに、福音を述べ、伝え、広げることが、「御名があがめられますように、御国が来ますように、神の御心が天の上におけるように、地の上にも」この祈りの実現へ貢献できる唯一の行動ではないでしょうか?

 

 

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ヨハネ福音書11章

エスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。

 

 

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下のサイトは全て携挙について書かれています。

皆さまは聖書と照らし合わせて確認していただき

一日も早く福音を得られることをお祈り申し上げます。

 

キリストの空中再臨と教会の携挙 - 牧師の書斎

キリストの空中再臨と教会の携挙 (その二) - 牧師の書斎

再臨と終末預言 - 牧師の書斎

 

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世界一のベストセラー聖書が教える!真の自由をもたらす七つの真実 | True Ark Bible

大患難時代―携挙、反キリスト、キリストの再臨|聖書預言―終わりの日 | True Ark Bible

 

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2017-01-01から1年間の記事一覧 - 世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

 

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人類の罪とは What is human sin?

ローマの信徒への手紙1章18節

 

神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。 なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。 彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。 ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。 彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。 それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。 すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。 彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている

 

いかがでしょうか?

今現在、上記に該当する人、または集団はどこにたくさん存在するでしょうか?

 

神は全てを見抜いておられます。

 

主の日においてこれらの全ての悪は滅ぼされます。

 

一日も早く福音を得て、これらの悪から身を清めなければなりません。

 

さもなければ共に滅ぼされ、永遠の地獄に行くことになってしまいます。

 

 

神の正しい裁き

ローマの信徒への手紙2章1節

だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。 わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。 ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。 あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。 すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、 他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。 悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、 善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる。 なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。 なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである。 すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。 彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。 そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。

 

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聖書における、肉とは、 霊とは In the Bible, What is meat? What is a spirit?

ガラテヤ人への手紙5章

の働きは明白である。すなわち、

不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

しかし、御霊の実は、

愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。 互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。

 

上記にあるような肉の働きが今までなかったという方はいらっしゃいますでしょうか?

 

私は福音を得る前は恥ずかしながら、肉の働きに従う人生でした。

 

人により肉の思いの強弱はありますが基本的に人は生まれながらに肉の性質を持って生まれてきます。

 

エスキリストも同様に神でありながら、マリアに受胎してから、マリアが引き継ぐ第一の人アダムからの肉の性質を受け継いだ人となられました。

 

エスキリストも生涯を過ごす中で私達と同様に肉の誘惑にさらされ、そしてそれに完全に打ち勝たれました。

ですからイエスキリストは私たちの全ての気持ちをわかっていただけるのです。

 

ローマ人への手紙8章

こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。 これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。 なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。 肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。 7なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。 また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。 しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。 もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。 もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。 それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。 なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。 被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。 実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。 わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。 もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。 御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。 そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。 それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。 「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

 

 

hukuinn.hatenablog.com

御父 御子 聖霊(御霊)   三位一体とは What is the Trinity

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三位一体の神



参照サイト

神と人との交わりの基礎としての三位一体(Trinity) - 牧師の書斎

 

 

は、「御父」「御子」「聖霊」なる三つの位格において存在され、その実体において唯一の神であることを意味します。

 

3=1、1=3の世界これは合理的に説明することはできない非合理の世界です。

しかし合理的に説明できなくとも、御父、御子、聖霊なる神は、永遠なる交わりの神秘の中に存在しています。

 

 

御父=創造主

御子=イエスキリスト

聖霊=福音を得た方の元に来られる神のご性質

 

父、子、聖霊の御名によって、洗礼のめぐみとは

マタイの福音書28章19節には「父、子、聖霊の御名によって」と言って洗礼を授けるように命じている。

 

「父、子、聖霊によって」ということばの意味を正しく理解するためには、「~によって」ということばに注意する必要がある。

 

ギリシャ語原文では、εισ(エイス;~のうちに)という前置詞が用いられている。

 

つまり正確には「父、子、聖霊の御名のうちに(入れる)」というニュアンスである。

 

つまり、「その方の覆いの下に入り、その方のものとなる」ことを意味する。つまり、「三位一体の神の交わり(永遠のいのち)の中に入っていく」ということである。

 

このように、洗礼を受けるとは、聖なる神の、永遠の愛の交わりの中に生かされる新しい歩みが始まるということである。

 

 

 

音を得た方は間違いなく聖霊が皆様の内に来られます。

 

聖霊の力がなければイエスキリストが私達の主であると信じ、言い表すことができません。

 

聖霊の働きによって、導きによって皆様が自然に変化していきます。

 

 

 

 

 

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イエス・キリストとは What is Jesus Christ?

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「福音」を得る前は

私はイエス・キリストだと思っていました。

知っていたことといえば 

クリスマスがキリスト誕生日(実際にはこの日ではないと言われています)

最後の晩餐の絵

十字架に架けられた

などぐらいで、深く考えたことがありませんでした。

 

皆さんはいかがですか?

 

聖書を読み続ければ、

であり、

神の御子である

エスキリストが本当に私たちの罪を背負うためにこの世に来られ、十字架にかかることで、

全ての人の全ての罪を、精算していただいたことがわかります。

hukuinn.hatenablog.com

 

まさか神であり、神の御子である方が 人となってこの世にきたなんて始めは信じられませんでした。

 

今日は日本ではよく知られていない、このイエスキリストについて解説していきましょう。

 

イエス・キリストとは

ヘブル語では「イェシュア・ハマシーアッハ」

ギリシャ語では「イエスース・クリストス

英語では「ジーザス・クライスト」(Jesus Christ)

と言います。

 

イエス・キリスト」というのは、

エスが名前で、

キリストは苗字ではなく、

「キリスト」とは職名です。

 

 


エスという名の意味

「イエス」という名は旧約聖書に登場するモーセの後継者ヨシュアギリシア語訳「イエスース」から来ています。

ヘブル語では「イェシュア」で、

神(主)は救いという意味です。

 

 

「キリスト」とは、神の働きのために特別な力と権威を授けるため「油注がれた者」を意味します。

 

旧約聖書では、「王」 「大祭司」 「預言者」にのみ任職の油が注がれました

 

したがって、「イエス・キリスト」とは、イエスが神からの任職の油を注がれた「王」であり、「大祭司」であり、「預言者」という表現なのです。

 

初代教会においては、「イエスがキリストであった」ということが「良き知らせ」(福音)でした。

 

この福音が人々を救うので、「救い主」とも言われているのです。

「救い」は「福音」からもたらされるのです。

 

 

以下のサイトにて詳しく書かれています。

序 「イエスはキリストです」 - 牧師の書斎

 

 

 

 

書には旧約聖書新約聖書とがあります。

 

共に神の霊により人に書かせたものであるとされています。

 

約とは神との契約という意味です。

 

エスキリストが新しい契約 イエスキリスト以前を旧約といいます。

 

旧約聖書にはイエスキリストが人として来る前からイエスキリストの事が書かれています。

 

旧約聖書だけを信じているのがユダヤ教ユダヤ人です。

 

旧約聖書に書かれている救世主をイエスキリストであると認めず、現在も救世主が来ることを待ち望んでいます。新約聖書を認めていません。

 

ただし、ユダヤ人がイエスキリストを信じない事は神の今後のご計画により信じていません。

 

 

創世記 12章1

1時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。 2わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。 3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」

 

 

アブラムは後にアブラハムといわれユダヤ人の祖です。

ですので今後、ユダヤ人を通して最終的に全ての国民が祝福に入るという「神のご計画」があります。

 

 

ローマ人への手紙 11章25

25兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人(日本を含めたイスラエル人以外の世界中の人々)が全部救われるに至る時までのことであって、 26こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。 27そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」。 28福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。 29神の賜物と召しとは、変えられることがない。 30あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、 31彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。 32すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。 33ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。 34「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。 35また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。 36万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。

 

 

のクリスチャンは旧約聖書新約聖書共に信じています。

 

 

エスキリストに関する預言は、旧約聖書の中にたくさんあります。

 

多くの解釈者たちは、メシヤについての預言は何百もあるといいます。

 

以下は、その中でも最も明確で重要だとされる預言です。

 

エスのご降誕について

 

イザヤ7章14節

紀元前8世紀(キリストが生まれる800年前)の預言者イザヤが書いたもの

 

「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名つ”ける。」

 

イザヤ9章6節

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその方にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」  

 

ミカ5章2節

ベツレヘム、エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、私のために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から永遠の昔からの定めである。」
時代がすすんでBC一九世紀になると、キリストがイスラエル民族の「ユダ」の部族に生まれることが、予言されました。

 

創世記49章10
 「つえはユダを離れず、立法者(神)のつえは、その足の間を離れることなく、シロ(究極的にはキリストを意味する)の来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う」

 


 さらにBC1000年頃になると、予言はさらに詳しくなります。キリストはユダの部族の「ダビデ王」の家系に生まれることが、予言されるのです。

 


詩篇89・29・36 

「わたし(神)は、彼(ダビデ)の家系をとこしえに堅く定め、その位を天の日数のようにながらえさせる。・・・・・・彼の家系はとこしえに続き、彼の位は、太陽のように常にわたしの前にある」


 この言葉は、イエス・キリストダビデの子孫として生まれ、私たちの救い主、また「王の王、主の主」として立てられたことによって、その究極的な成就を見ました。

 

この予言通り、キリストはダビデの家系であるヨセフとマリヤの家に、ご降誕されました
 

のように、キリストはまず人類の中に降誕することが予言され、つぎにイスラエル民族の「ユダ」の部族、またユダ族のダビデ王の家系に生まれるというように、時代が進むごとに、予言がせばめられていったのです。

 



エスの宣教活動とその死に関して

ゼカリヤ9章9節

「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和でロバに乗られる。それも、雌ロバの子の子ロバに。」  

 

詩篇22篇16-18節

「犬どもが私を取り囲み、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。私は私の骨をみな数えることができます。彼らは私を眺め、私を見ています。彼らは私の着物を互いに分け合い、私のひとつの着物をくじ引きにします。(十字架での預言)

 


イザヤ書の53章

だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 しかし彼(イエスキリスト)はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼(イエスキリスト)の上におかれた。 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。

 

 


ダニエル9章の七十週の預言は、イエスキリストが断たれるその日を正確に予告しています。

 

イザヤ章6節では、イエスが受けられたむち打ちに関して正確な預言があります。

 

ゼカリヤ12章10節は、メシヤが突き刺されること、それは、イエスが十字架で亡くなられたあとに起こったことですが、それを予告しています。

 

他にも多くの例を書かれています。旧約聖書は、イエスキリストが救世主として来られることを、預言しています。

 

 

 

この神が与えた旧約聖書の預言どおりに、

 

預言通りの系図で救世主として生まれ

 

かつ、預言通りに全ての人の身代わり、

 

全ての人類の罪を精算していただいた方が、

 

エスキリストなのです。

 

エスキリストは神であり、神の御子でありながら、

おとめマリアの中に受胎され、人の子としてお生まれになり、

また生涯、一切の罪をおかさずに、人々の全ての罪の身代わりとなるために、十字架にかけらました。

 

そして墓に葬られた、三日後に創造主である神が、

神の御子であるイエスキリストを死から復活させられた。

そしてイエスキリストの復活を信じる全ての人が救われるようになりました。

 

エスキリストには十二人の弟子がいました、

 

エスキリストのそばで三年間にすべてのことを学び、数々の奇跡を目の当たりにしていました。

 

弟子たちには何度となく、人々のために十字架にかかり、三日後に復活することを伝えていました。

 

しかし十字架にかけられる前には、全員がイエスキリストを信じることができずに裏切りました。

 

弟子たちはイエスキリストの復活を見ました。

 

復活を実際に見ることにより、イエスキリストが神の御子であるということを信じました。

 

十二人の弟子はヨハネ以外は全て殉教でした、拷問にかけれてもなお、イエスキリストを信じる、福音を伝え、広め続けたのはやはり、イエスキリストが復活されたのを見たからではないでしょうか?

 

私もこのことを読んでからイエスキリストの復活確信に変わりました。

 

 

 

エスキリストが十字架にかかったことなどはご存知だと思います。最近はイースター(復活祭)などもテレビなどでも伝えられているので知っている方も多いと思います。

 

約2000年前に旧約聖書が示すとおりに、ユダヤ人の地にイエスキリストが救世主として現れた。

 

しかし、ユダヤ人が救世主として受け入れなかった、つまりは福音を受け入れなかった。

 

そのためにその福音が異邦人(ユダヤ人以外の人)のもとに今現在まで世界中に広がっている。

 

現在は世界人口75億人弱です。

その内キリスト教信仰者は約22億人と言われています。

 

聖書は世界2479の言語で翻訳され 現在まで4000億冊以上発行されています。

 

日本では1874年~2004年に3億4584万1334冊が頒布されています。

 

日本ではクリスチャン人口は1%を超えたことがないと言われています。

 

現状は非常に少ないです。

 

 

 

西暦表記で日常を過ごし、クリスマスを祝い、イースター(イエスキリストの復活祭)を知り、

聖書は今は無料アプリで見ることが出来る時代です。

 

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神様は皆さんに気づける全てのことをしてくださってます。

 

あとは皆さんが創造主とイエスキリストを信じ、福音を得て救われるのを待っているのです。

 

 

マタイによる福音書24:14

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

 

 

 

それでも受け取らないというのなら、7年間の大艱難の試練を通じて神を信じるか、信じないかの選択をしなければなりません。

 

 

主の日とは

七年間の大艱難時代を指します。

創造主である神からの破壊が来る時であり、残酷な日であり、主の燃える怒りの日と言われるのです。

osusowake.hatenablog.com

 

反キリストを含めた悪を行う者

エスキリストを信じずに福音を最後まで得なかったものは大艱難の末に滅ぼされます。

 

しかし神の御心は以下のように

テモテ第一2:4

 神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

 

ペテロ第二3:9

ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう

 

 

エスキリストが大艱難時代の最後に再臨し、全ての悪を滅ぼしてからイエスキリストが統治する千年王国が始まり、その後永遠の御国になります。

 

 

はまだ福音を誰でも自由に得ることが出来る時代です。

 福音を得た人は、終わりの日に大艱難に会うことがありません。

 

これから世界は聖書が示すとおり国と国とが対立するようになり、

反キリスト(暴君)が現れてからは自由にキリストを信仰することができなくなります。

つまり福音を得ることが命懸けの時代に一気に変わります。

 

今はその主の日の兆候が今にも整いつつある状況です。

 

 

マタイ24章3節 終末の徴

人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない

民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国(みくに)の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

 

 

ですので今、 福音を得ていただくことが大切なのです。

 

 

 

ヨハネ福音書14章6

わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

 

 

ヨハネの黙示録 3章

19すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。

20見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。

21勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。  

 

 

上のように現在もイエスキリストは皆様に福音を得るように心の戸をたたいておられます。

 

皆様が素直な心で神に立ち帰り、今までの人生が神から離れていたことを「罪」だと認め、今までしてしまった様々な罪を素直に神に対して反省し、悔い改められるようにお願い申し上げます。

 

そしてまた、同じように神であり、人としてこの世に来られたイエスキリストが、

全ての人の罪の身代わりとして十字架にかけられたこ

墓に葬られたこ

3日後に創造主によって復活したこ

このことを心で信じ、

「イエスキリストが私たちの主(神)である」と口で言い表してください。

 

そうすれば「福音」を得たことになり、

神から皆さんの全ての罪が許され、救われ、永遠の天国に住むことができます。

 

 

 

ヨハネ福音書11章

エスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。

 

 

ヨハネによる福音書 20章24

24十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。

25ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。

26八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。

27それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。

28トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。

29エスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。

30エスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。

31しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。

 

ヨハネの黙示録 22

20これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。 21主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。

 

 

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 Jesus in the Old Testament 旧約聖書の中のイエス

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福音の受け取り方 How to receive the gospel  確実に 真のクリスチャンになるために In order to become a true Christian surely

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ず静かなところで一人になれるところに行ってください。

 

 

そして心を静めて、出来るだけ、ご自身が子供に戻ったかのように素直な気持ちになってくださいね。

 

 

リラックスしてください。 

 

 

準備はいいですか?

 

 

 

 

今、あなたは神様の前にいます。

 

 


様とは、この世界、宇宙、星、

 

地球、太陽、月、そしてそれを動かす秩序

 

海や川、自然、水、

 

空気、酸素、水素などの

 

原子、分子、素粒子

 

植物、花、穀物、虫、動物、

 

そして人、

 

これら全ての万物を創造された方、

 

 

人が生きるために全ての環境を与え、支えられている方

 

 

つまり創造主である神様の前に居ると思ってください。

 

 

 

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造主である神は、「全ての人は生まれながらに罪人である」と言われます。

 

その罪とは創造主を認識せずに生きる、

 

創造主に感謝せずに生きる、

 

創造主と関係のない、自己中心に人生を生きることが罪だと言われます。

 

そして創造主は罪のない人は一人もいないと語ります。

 

全ての人が持つ「罪」

 

この罪に気づき、認め、反省し、感謝し、悔い改めることが創造主が皆さんに求められていることです。

 


全ての人はまず第一に、この全てのものを創造されたのは創造主なんだと認識し、その創造主のおかげで私たちは生きることができているのだと感謝する必要があるのではないでしょうか?

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ではまず、心の中で、現在まで、その神から離れていた、背いていたことを「罪」だと認めてください。

 

 

全てを創造していただいた環境の中で今まで生活してきたにも関わらず、その創造主の存在を感じず、感謝することなく暮らしてきたことを「罪」だと認めてください、「的外れな人生」だったと認めてください。

 

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して過去に神が全ての人に備えた「良心」に反したことをしたならば、それも罪です。

 

 

そして 「神様、すいませんでした。」と心から謝りましょう。

 

 

 

神は全知全能です。皆さん一人、一人のことを全てご存知です。

 

皆さん一人、一人を本当に深く愛しておられます。

 

神は全ての人が、神のもとに帰ってくることを誰よりも望んでおられ、誰よりも戻ってきた際にはお喜びになります。

 

今までの自分の人生を悔い改めてください。

 

今、神の元に立ち帰る決心をして下さい。

 

今日、この日から神と共に歩む決心をしてください。

 

 

そうすると神様が皆様の罪を赦していただけます。

 

 

ヨハネの第一の手紙 1

5わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない

6神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。

7しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスが、すべての罪からわたしたちをきよめるのである

8もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。

9もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

10もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。

 

 

 

して、

創造主の御子であり、創造主と同じように「神」であるイエスキリストが「人」としてこの世にこられました。

 

世に降られたのが西暦通り2017年前。

 

創造主が人類に与えた「旧約聖書

 

エスキリストが世に来られてから書かれた「新約聖書

 

この創造主が与えた旧約聖書の預言どおりに、

預言通りの系図で救世主として生まれ

かつ、預言通りに全ての人の身代わりとして、

全ての人類の罪を精算していただいた方が、

エスキリストなのです。

 

そしてその、

①イエスキリストが私たちの罪のために死なれたこと。

 

②墓に葬られたこと。

 

③3日目に復活し、多くの人の前にあらわれたこと。

 

以上のように創造主である神がイエスキリストを死者の中から復活させられたことを心から信じます。

 

そして

 

「イエスキリストが私たちの主(神)である」と口で言ってください。

 

 

 

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おめでとうございます!!!

 

 

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福音を得た方は救われました!!!

 

心で信じ、口で言い表すことができるのは、神のご性質である聖霊が皆様の内に住まわれたからです。

 

 

真のクリスチャンになりました。!!!

 

永遠の命を得て生まれ変わったのです。!!!

 

 

今日この時まで、あなたを救いに導くために、あなたのことを神様が支え続けていただいたことに感謝しましょう。

 

 

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ヨハネ福音書11章

エスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。

 

 

 

 ローマ人への手紙10章

兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。 わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。 なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。 モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。 しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。 また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。 では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

 

 

 

 

 

造主、御子であるイエスキリスト、聖霊によって皆様は救われました。

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音を得、神と共に歩まれる決心をされた皆様は生まれ変わりました。

 

福音を得た皆様は救いがなくなることはありません。

 

ただし、神は皆様の成長を望まれます。

 

全ての教えは旧約聖書新約聖書を合わせた聖書にあります。

 

神を信じ、イエスキリストを信じた皆様は聖書が理解できます。

 

聖書の言葉を守ることによって成長します。

 

また、まだ福音を得ていない方に皆様が福音を伝えることを望まれます。

 

今日この時から、神への祈り、そして聖書を読むことによって、イエスキリストに似た者となるように、聖霊の働きにより日々、変えていただけます。

 

神が、イエスキリストが、聖霊があなたを見守り、成長させ、最後には永遠に神と御国で住むことが約束されたのです。

 

 

本当におめでとうございます!

 

 

 

コリント人への第一の手紙 15

1兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。

2もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。

3わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、

4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、

5ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである

6そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。

7そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、

8そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。

9実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。

10しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。

11とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのである。

12さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。

13もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。

14もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。

15すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。

16もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。

17もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう

18そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。

19もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。

20しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。

21それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。

22アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。

23ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト(十字架から三日後の復活)、次に、主の来臨(携挙・キリスト空中再臨)に際してキリストに属する者たち、(過去の真のクリスチャン及び携挙時の真のクリスチャン)

24それから終末(キリスト地上再臨:大艱難時代に最後までイエスキリストを信じた真のクリスチャン)となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである

25なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。

26最後の敵として滅ぼされるのが、死である。

27「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。

28そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。

29そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。

30また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。

31兄弟たちよ。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつき持っている誇にかけて言うが、わたしは日々死んでいるのである。

32もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つのか。もし死人がよみがえらないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。

33まちがってはいけない。「悪い交わりは、良いならわしをそこなう」。

34目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなたがたのうちには、神について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのだ。

35しかし、ある人は言うだろう。「どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか」。

36おろかな人である。あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないか。 37また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではない。麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎない。

38ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる。

39すべての肉が、同じ肉なのではない。人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。

40天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。

41日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。

42死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、

43卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり

44肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。

45聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。

46最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。

47第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。

48この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。

49すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。

50兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。

51ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる(携挙)

52というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。

53なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。

54この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。

55「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

56のとげはである。罪の力は律法である。

57しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

58だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。 

 

 

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教会の意味 結婚式の意味 Meaning of the church The meaning of the wedding

私は昔、教会で結婚式を挙げました。

当時の私も妻も、特になんの信仰もない人間でした。

ただなんとなく、妻が言うがままに和式ではなく様式で教会で挙げました。

ただおしゃれな感じがあったからだと思います。

ハワイで挙式を挙げ、親族だけで挙げました。

それぞれの親、兄弟、姪っ子などが来て楽しく過ごせました。

今から思えばその頃からも、家族みんながイエス・キリストに招かれていたのだなーっと感じます。

早くこのことに気づいてくれーっと願う毎日です。

 

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キリストにおける結婚とは

新郎イエスキリストと新婦である真のキリスト信者との結婚を意味します。

いま新郎であるイエスキリストは新婦のために結婚式の準備をしていただいている期間です。

エスキリストがいつでも迎えに来てもいいように身を整えていなければなりません。

このことについてわかりやすく書いていただいているサイトがあります。

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 福音を受け取られる方は 

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