世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

偶像とは What is idol?

 

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偶像(ぐうぞう、英語: idol, cult image)とは、

木・石・土・金属(などの具体的なモノ)で作った像

神や仏などの存在をかたどって造られた像で、かつ崇拝の対象となっているようなもののこと
 
神の像や仏の像、およびそれを崇拝する行為を指すために使われている言葉である。
 
物としての偶像ではなく、それを崇拝する行為のほうに焦点を当てた用語として「偶像崇拝」がある。
 
この偶像idolが転じて、現代英語のidolの用法や、様々な経緯を経て現代日本語の「アイドル」の用法が生まれた。
上記より抜粋
 
とあります。
 
 
しかし、聖書の神はこの偶像を禁止されます。
 
聖書のあらゆる箇所に記載されています。
 
 
 
 
1神はこのすべての言葉を語って言われた。
2「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
3あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
4あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
5それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
6わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
7あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
 
 
レビ記 19章4節
むなしい神々に心を寄せてはならない。また自分のために神々を鋳て造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。
 
 
イザヤ書 44章6節
6主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、万軍の主はこう言われる、「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない。
7だれかわたしに等しい者があるか。その者はそれを示し、またそれを告げ、わが前に言いつらねよ。だれが、昔から、きたるべき事を聞かせたか。その者はやがて成るべき事をわれわれに告げよ。
8恐れてはならない、またおののいてはならない。わたしはこの事を昔から、あなたがたに聞かせなかったか、また告げなかったか。あなたがたはわが証人である。わたしのほかに神があるか。わたしのほかに岩はない。わたしはそのあることを知らない」
9偶像を造る者は皆むなしく、彼らの喜ぶところのものは、なんの役にも立たない。その信者は見ることもなく、また知ることもない。ゆえに彼らは恥を受ける。
10だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。
11見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。
12鉄の細工人はこれを造るのに炭の火をもって細工し、鎚をもってこれを造り、強い腕をもってこれを鍛える。彼が飢えれば力は衰え、水を飲まなければ疲れはてる。
13木の細工人は線を引き、鉛筆でえがき、かんなで削り、コンパスでえがき、それを人の美しい姿にしたがって人の形に造り、家の中に安置する。
14彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。
15こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。
16その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。
17そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、これに祈って、「あなたはわが神だ、わたしを救え」と言う。
18これらの人は知ることがなく、また悟ることがない。その目はふさがれて見ることができず、その心は鈍くなって悟ることができない。
19その心のうちに思うことをせず、また知識がなく、悟りがないために、「わたしはその半ばを火に燃やし、またその炭火の上でパンを焼き、肉をあぶって食べ、その残りの木をもって憎むべきものを造るのか。木のはしくれの前にひれ伏すのか」と言う者もない。
20彼は灰を食い、迷った心に惑わされて、おのれを救うことができず、また「わが右の手に偽りがあるではないか」と言わない。
21ヤコブよ、イスラエルよ、これらの事を心にとめよ。あなたはわがしもべだから。わたしはあなたを造った、あなたはわがしもべだ。イスラエルよ、わたしはあなたを忘れない
22わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。
23天よ、歌え、主がこの事をなされたから。地の深き所よ、呼ばわれ。もろもろの山よ、林およびその中のもろもろの木よ、声を放って歌え。主はヤコブをあがない、イスラエルのうちに栄光をあらわされたから。
24あなたをあがない、あなたを胎内に造られた主はこう言われる、「わたしは主である。わたしはよろずの物を造り、ただわたしだけが天をのべ、地をひらき、-だれがわたしと共にいたか-
25偽る物のしるしをむなしくし、占う者を狂わせ、賢い者をうしろに退けて、その知識を愚かにする。
26わたしは、わがしもべの言葉を遂げさせ、わが使の計りごとを成らせ、エルサレムについては、『これは民の住む所となる』と言い、ユダのもろもろの町については、『ふたたび建てられる、わたしはその荒れ跡を興そう』と言い、
27また淵については、『かわけ、わたしはあなたのもろもろの川を干す』と言い、
28またクロスについては、『彼はわが牧者、わが目的をことごとくなし遂げる』と言い、エルサレムについては、『ふたたび建てられる』と言い、神殿については、『あなたの基がすえられる』と言う」。
 
 
 
詩篇 115
4彼らの偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。
5それは口があっても語ることができない。目があっても見ることができない。
6耳があっても聞くことができない。鼻があってもかぐことができない。
7手があっても取ることができない。足があっても歩くことができない。また、のどから声を出すこともできない。 8これを造る者と、これに信頼する者とはみな、これと等しい者になる。
 
 
 
エペソ人への手紙 5
1こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。
2また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。
3また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。
4また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。
5あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。
6あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。
7だから、彼らの仲間になってはいけない。
8あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい-
9光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである-
10主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。
11実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。
12彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。
13しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
14明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。
 
 
 
使徒行伝 17章
1一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。
2パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、
3キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。
4ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。その中には、信心深いギリシヤ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。
5ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。
6しかし、ふたりが見つからないので、ヤソンと兄弟たち数人を、市の当局者のところに引きずって行き、叫んで言った、「天下をかき回してきたこの人たちが、ここにもはいり込んでいます。
7その人たちをヤソンが自分の家に迎え入れました。この連中は、みなカイザルの詔勅にそむいて行動し、イエスという別の王がいるなどと言っています」。
8これを聞いて、群衆と市の当局者は不安に感じた。
9そして、ヤソンやほかの者たちから、保証金を取った上、彼らを釈放した。
10そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。
11ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。
12そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。
13テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神の言を伝えていることを知り、そこにも押しかけてきて、群衆を煽動して騒がせた。
14そこで、兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して、海べまで行かせ、シラスとテモテとはベレヤに居残った。 15パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行き、テモテとシラスとになるべく早く来るようにとのパウロの伝言を受けて、帰った。
16さて、パウロアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。 17そこで彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。
18また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、「このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか」。また、ほかの者たちは、「あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい」と言った。パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからであった。
19そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、「君の語っている新しい教がどんなものか、知らせてもらえまいか。
20君がなんだか珍らしいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」と言った。
21いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである。
22そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。
23実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。 24この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。
25また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、
26また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。
27こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。
28われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。
29このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。
 
30神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。
31神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。
32死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った。
33こうして、パウロは彼らの中から出て行った。
34しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かあった。その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々もいた。
 
 
 
 
 
かがですか?
これだけ聖書の神は昔の人々、旧約聖書時代の人びとに神以外の偶像を神の様に拝んではいけないと戒めています。
 
旧約聖書時代は、神が選んだアブラハム・イサク・ヤコブに続くイスラエルユダヤ人)民族に対して語っています。
 
つまり神が選び、育て、鍛えた民族でさえ、聖書の神が本当に存在していることを理解した民族でさえ、油断すれば神の代わりに偶像を拝み、自己中心的に生きるということです。
 
旧約聖書時代は神が選んでいない「異邦人」、いわゆる当時のイスラエル以外の人々、つまり日本を含めた「異邦人」は偶像しか拝んでいなっかたということです。あるいは、偶像など拝まず、神の与えた「良心」に従い続けた人生を歩んだ人々です。
 
 
 
 
 
 
 
日本では「神様、仏様~!!!」と、日本人にとって同じような扱いです。
 
日本にはこの偶像を拝む習慣、風習が生活の中のいたるところに染み付いています。
 
家の中には「仏壇」があり、そこには仏像、あるいは阿弥陀仏の絵があります。
 
そして仏壇に捧げ物を置きます。そしてお下がりとして配り、食べます。
 
小さい子供の頃から親や祖父母から仏壇を拝むように教えられます。
 
これは「偶像礼拝」です。偶像をあがめ、物を捧げ、その偶像からの捧げ物を食べるというのは偶像礼拝行為です。
 
日本ではごく自然に幼少の頃から教えられます。
 
墓に行けば、お供えを置き、線香を焚き、頭を下げ、先祖に感謝の念を伝えるように、そこに先祖が居るかのように拝みます。
 
全国には神社は88000社あり
 
寺は77000寺あります。
 
コンビニの3倍存在します。
 
そして仏像や神社の神々が真の神であるかのように祀られています。
 
 
 
の人生ですが、
生まれる前から安産祈願をされ、
生まれてからは「お食い初め」をし、神社にて七五三をし、お祭りがあれば神社の参道での屋台で楽しみ、地蔵盆があればお菓子をもらい、受験の合格祈願で神社に参り、おみくじを引いて、お守りを買い、
 
 
結婚式は「教会」で挙げ、
(私は結婚式を教会で挙げた8年後にやっと気づき救われました。)
 
 
 
して安産祈願で腰帯を買い、お守りを買い、子供の名前を付ける際に寺に画数を調べ、厄年には厄払いをし、
 
、いままでいくら時間とお金を使ったのでしょうか?
 
「お金返して!」
 
 
 
 
れだけ偶像がいたるところにあるということです。
日本にはごく自然に
 
私の偶像を礼拝した人生は、本当の神を知らない人生でした。
 
偶像は何も言いません、何もできません、ですので私自身は自己中心に自由に自分勝手に生きていました。
 
常に不安を抱え、自分の努力と力で頑張らないといけないと言い聞かせ、どうにもならないときだけ、賽銭を払い、お守りを買い、何も言わない、何もできない神や仏にお願いする、しかも心の底からその神や仏を信じていない心で。
 
 
皆さんは神社の神々や、寺の仏のことをよく知らないで、本当に心から信じることができているのですか?
 
 
 
 
 
 
して偶像とは人が造った像のことだけではなく、
自分自身を神のように崇拝する。
 
神ではない、その人自身が偶像となり、自分自身を神のように扱う、自分の欲求を満たす、自尊心を高めることを言います。
 
分自身を満たすために、本当の神など認識しないで、感謝しないで、神から背を向け、聖書の語る罪を大なり、小なり犯しながら、
 
買いたいものを買い続け、食べたいものを食べ続け、アルコールに依存し、タバコに依存し、自分の地位や名誉を高めるために仕事に没頭し、他人との容姿や収入や出世や家の大きさや子供の学歴を競う。
 
このようなことを神よりも優先し、自分の欲求を満たすことを第一に重んじることも「偶像礼拝」です。
 
 
人間は、生存の保障、防衛の保障という最も基本的なニーズの確かさを求めるものです。そのニーズが満たされるものを優先して選ぼうとします。ニーズが神によって与えられるという信仰の道を歩むか、それともそのニーズを満たしてくれるように思える(見える)偶像礼拝の道を選ぶか、神の民はその歴史を通して絶えず問われていきます。これが信仰の戦いです。この戦いは今日に生きるキリスト者も免れることはできません。私たちはいったい誰を信頼すべきかいつも問われているのです。神のストーリーを語ることをしないならば、私たちの心は目に見えるものによって支配されてしまう弱さをもっているのです。それゆえ絶えず、神のストーリーを、礼拝を通して、賛美を通して、自分自身に、人に、語り告げなければなりません。

 

 

 

 

 

さんが本当に心の底から望んでいることは、全知全能である私たちの三位一体の神である、創造主、神の御子であるイエス・キリスト聖霊は全てご存知です。

 

皆様の望むことは、「福音」を得て、皆様に「聖霊」が内住され、日々、真剣に私たちの父である創造主に祈り、イエスキリストの御名(お名前)によってお願いすると必ず叶えられます。 

 

ただし神の御心と皆さんにとって本当に良いことが叶えられます。

 

hukuinn.hatenablog.com

 

 

ヨハネによる福音書 16

20よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。

21女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。

22このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。

23その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。

24今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。 25わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。

26その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。

27父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためである。

28わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである」。

29弟子たちは言った、「今はあからさまにお話しになって、少しも比喩ではお話しになりません。

30あなたはすべてのことをご存じであり、だれもあなたにお尋ねする必要のないことが、今わかりました。このことによって、わたしたちはあなたが神からこられたかたであると信じます」。

31エスは答えられた、「あなたがたは今信じているのか。

32見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである。

33これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

 

 

 

 

 

福音を受け取るために(救われ、天国に行くためには)

 

 

三位一体の神

神と人との交わりの基礎としての三位一体 牧師の書斎

 

 

 

 

福音(ふくいん)とは、聖書に書かれているとおり

人が全てのものを創造された神である創造主(御父:父なる神)を認識せず、感謝せずに、人自身が自己中心に生きていることを罪と認め、神に謝罪し、再び神の元に立ち帰ること

 

そして創造主の御子(子)であり、また創造主と同じように神であるイエス・キリストが、人としてこの世にこられ、私たち全ての人の罪を、身代わりとして背負って下さり、十字架に架けられたこと。

そしてその、

イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたこと。

 

②墓に葬られたこと。

 

③3日目に復活し、多くの人の前にあらわれたこと。

 

 

 

 

 

以上のことを信じると、神からの恵みにより救われます。

 

神と共にに天国で過ごすことのできる永遠の命が与えられます。

 

 

これが福音です。

 

 

 

 

 

非常にシンプルです。

 

たったこれだけです。

 

 

 

 

さんは、この神様から天国に来るように招かれています。

 

天国に行きたくないという方はいらっしゃらないのではないでしょうか?

 

福音を得ると、天国に行く約束を神様からしていただけます。

 

この福音を全ての人が受け取るように、伝え広げるために書かれたのが「聖書」です。

 

これから必ず「福音」を受け取ることが出来る方法をお教えしますので非常に簡単で時間もかかりませんので、以下のとおりにしてみてくださいね!

 

 

 

 

 

ず静かなところで一人になれるところに行ってください。

 

 

そして心を静めて、出来るだけ、ご自身が子供に戻ったかのように素直な気持ちになってくださいね。

 

 

リラックスしてください。 

 

 

準備はいいですか?

 

 

 

 

 

今、あなたは神様の前にいます。

 

 

 

 


様とは、この世界、宇宙、星、地球、

 

海や川、自然、水、

 

酸素、原子、素粒子

 

植物、花、穀物、虫、動物、

 

そして人、

 

これら全てのもの、万物を創造された方、

 

つまり創造主である神様の前に居ると思ってください。

 

 

 

 

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造主である神は、「全ての人は生まれながらに罪人である」と言われます。

 

その罪とは創造主を認識せずに生きる、

 

創造主に感謝せずに生きる、

 

創造主と関係のない、自己中心に人生を生きることが罪だと言われます。

 

そして創造主は罪のない人は一人も居ないと語ります。

 

全ての人が持つ「罪」

 

 

 

全ての人が生まれながらに「罪」があるのですから、全ての人が持って生まれる「課題」であるとも言えるのではないでしょうか?

 


全ての人はまず第一に、この全てのものを創造されたのは創造主なんだと気づき、その創造主のおかげで私たちは生きることができているのだと感謝する必要があるのではないでしょうか?

 

 

 

ではまず、心の中で、現在まで、その神から離れていた、背いていたことを「罪」だと認めてください。

 

 

全てを創造していただいた環境の中で今まで生活してきたにも関わらず、その創造主の存在を感じず、感謝することなく暮らしてきたことを「罪」だと認めてください。

 

的外れは同じ意味です。神様から見て、的が外れた人生ではなかったでしょうか?

 

hukuinn.hatenablog.com

 

 

して過去に神が全ての人に備えた「良心」に反したことをしたならば、それも、もちろん罪です。

 

生まれて一度も、子供の頃から、一度も人を傷つけず、親に反抗せず、人の悪口を言わず、妬まず、人を馬鹿にせず、人に八つ当たりせず、などなど「良心」に反せず生きてきた人はいるのでしょうか?

 

 

聖書にはそのような人は一人もいないと書かれています。

 

 

神様は皆さんのすべての人生をご存知です。

 

是非、今、人生を振り返り、自分がしてしまった愚かな思い、愚かな行為を思いだしたならば、素直に認めてください。

 

 

そして 「神様、すいませんでした。」と素直に心から謝りましょう。

 

 

 

神は全知全能です。皆さん一人、一人のことを全てご存知です。

 

皆さん一人、一人を本当に深く愛しておられます。

 

神は全ての人が、神のもとに帰ってくることを誰よりも望んでおられ、戻ってきた際には誰よりもお喜びになります。

 

 

今、神の元に立ち帰る決心をして下さい。

 

今日、この日から神と共に歩む決心をしてください。

  

 

 

して、

創造主の御子であり、創造主と同じように「神」であるイエス・キリストが「人」としてこの世にこられました。

 

世に降られたのが西暦がイエス・キリストの誕生が基準である通りに2017年前。(このブログを書いたのが2017年であるため)

 

イエス・キリストが世に下る以前に書かれた「旧約聖書

 

イエス・キリストが世に来られてから書かれた「新約聖書

 

 

 

旧約聖書の預言どおりに、

 

預言通りの系図で救世主として生まれ

 

かつ、預言通りに、全ての人の身代わりとして、

 

全ての人類の罪を精算していただいた方が、

 

イエス・キリストなのです。

 

そしてその、

イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたこと。

 

②墓に葬られたこと。

 

③3日目に復活し、多くの人の前にあらわれたこと。

 

以上のように創造主である神がイエス・キリストを死者の中から復活させられたことを心から信じます。(厳密には、イエス・キリストが、本当に私の罪のために十字架に架かって下さり、神(創造主)によって復活されたと心で信じた時点で救わています。)

 

エペソ人への手紙2章8節

あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 9決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。

 

 

 

 

そして

 

イエス・キリストが私たちの主(神)である」と口で言ってください。(心から信じていなければ、口で言い表しても救われていません)

 

(お体の状態などにより言い表すことができない場合はイエス・キリストは私の神です!」と心の声で言い表してくださいね。神様は全知全能ですので心の声を聞いてくださり、必ず救われます。)

 

 

 

ヨハネの手紙 第一 5章15節

だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

 

コリント人への手紙第一 12章 3節

聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。

 

 

 

 

 

おめでとうございます!!!

 

 

 

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音を心から信じた皆様は確実に神の救いと恵みを受けました。

 

 

 

今日この時まで、あなたを救いに導くために、あなたのことを神様が支え続けていただいたことに感謝しましょう。

 

 

 

音を得て、神と共に歩まれる決心をされた皆様は生まれ変わりました。

 

 

神は福音を得た皆様の成長を望まれます。

 

全ての教えは旧約聖書新約聖書を合わせた聖書にあります。

 

神を信じ、イエス・キリストを信じた皆様は聖書が理解できます。

 

聖書の言葉を守ることによって成長します。

 

そしてまた、まだ福音を得ていない人々に、皆様が福音を伝えることを望まれます。

 

今日、この時から、神への祈り、そして聖書を読むことによって、イエス・キリストに似た者となるように、聖霊の働きにより日々、変えていただけます。

 

神が、イエス・キリストが、聖霊があなたを見守り、成長させ、最後には永遠に神と御国で住むことが約束されたのです。

 

 

本当におめでとうございます!

 

 

 

 

 

 

 

福音を心から信じることで 誰でも、いつでも、どこでも、ひとりでも、一円も払わずに救われます。