世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

見えるもの、見えないもの 福音を得て見えないものを信じる Things that can be seen, things that can not be seen. I believe what I can not see looking at the gospel

Wi-Fiが飛んでる!」(^▽^)

 

これはメイプル超合金というお笑いの方が、電波が見えている風に手で捕まえようとすることで笑いを誘います。これを見たとき私も大笑いしました。

 

皆さんは電波が見えますか?

 

私には当然見えません。

 

しかし、この目に見えない電波、Wi-Fiによって私たちはスマートフォンや携帯電話、あるいは、ユーチューブなどの動画、テレビ、ラジオ、衛生通信、GPS、などありとあらゆる情報を目にすることができます。

 

 

つまり見えない電波を通じて、電波を受けた受信機である機器、つまりスマートフォン、テレビ、携帯電話、ラジオを通じて「見ること」「聞くこと」ができるのです。

 

 

この空中の間では何が起こっているのでしょうか?

 

 

電波は媒体がない真空でも伝わり、自由空間での速度は1秒間に約30万kmでと同じだそうです。

 

micro.rohm.com

 

皆さんはもちろん生活でよく使用し、人間の体にはなくてはならないもの「水」

 

これはもちろん見ることができ、触ることもできます。

 

しかしヤカンで湯を沸かし続けると蒸気は目に見えますがそのうち見えなくなり、ヤカンの中の水もなくなり大気中に広がり、拡散します。

 

人間には可視領域というものがあります。

 

字のごとく、見ることが可能な領域です。

 

可視光線とは人が見ることの出来る光のことです。

 

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上記のように波長の短い方から紫、青紫、青、青緑、緑、黄緑、黄、黄赤(橙)、赤で、俗に七色と言われます。

 

 

一方、不可視光線は人が見ることができない領域です。

 

 

可視光線には

 

 

可視光線より波長が長く、エネルギーが低いものは赤外線や電波などがあります。

 

 

可視光線より波長が短く、エネルギーが高いものは紫外線、診断用X線、治療用X線ガンマ線があります。治療用X線はエネルギーが高いことで、がん細胞を殺すことができるので治療として用いられているのです。

 

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 (電磁波の種類:放射線影響研究所資料より)

 

つまり何が言いたいかというと人が見えている領域はごくわずかだということです。

 

我々が見ている領域は上記の可視光の領域だけです。

 

電波も赤外線も紫外線、レントゲンのX線放射能ガンマ線などは見ることができない、しかしそれらは存在し、影響しているということです。

 

人は神から目という器官を与えられていますから可視領域のみ見ることができます。

 

 

 

今現在人間は神を見ることができません。

 

聖書が語る、創造主、イエスキリスト 聖霊は確かに存在されています。

 

聖書を読み、理解し、心から信じればわかります。

 

見えないものを信じる。

 

見えないものに希望持つ。

 

 

「死」の際には肉体の活動は終わります。

 

しかし人の魂は残ります。

 

死んで全て終わりとは書かれていません。

 

何回も生まれ変わるとは書かれていません。

 

 

 

 

回だけの人生で

 

全ての人が持って生まれる、創造主を認識せずに生きる罪

 

人生で、神が備えた良心に反して人がおかす「罪」

 

この罪について全ての人が、神の前で裁かれます。

 

 

 

の宇宙の中で生物がいるのは現在のところ地球だけです。

 

この完璧な条件で生きることができている人間の人生に、全く生きる意味、生かされる意味はないのでしょうか?

 

 

 

 

その生きる意味の答えはエスキリスト、神は救い、福音です。

 

 

 

 

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ヘブル人への手紙 11

1さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 2昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。 3信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。 4信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。 5信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。 6信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。 7信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。 8信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。 9信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。 10彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。 11信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。 12このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。 13これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。 14そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。 15もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。 16しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。 17信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。 18この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。 19彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。 20信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブエサウとを祝福した。 21信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。 22信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。 23信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。 24信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、 25罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、 26キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。 27信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。 28信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。 29信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。 30信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。 31信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。 32このほか、何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。 33彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、 34火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。 35女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。 36なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。 37あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、 38(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。 39さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。 40神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。

 

ヘブル人への手紙 12

1こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。 2信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。 3あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。 4あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。 5また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。 6主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。 7あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。 8だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。 9その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。 10肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。 11すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 12それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。 13また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。 14すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。 15気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。 16また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。 17あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。 18あなたがたが近づいているのは、手で触れることができ、火が燃え、黒雲や暗やみやあらしにつつまれ、 19また、ラッパの響や、聞いた者たちがそれ以上、耳にしたくないと願ったような言葉がひびいてきた山ではない。 20そこでは、彼らは、「けものであっても、山に触れたら、石で打ち殺されてしまえ」という命令の言葉に、耐えることができなかったのである。 21その光景が恐ろしかったのでモーセさえも、「わたしは恐ろしさのあまり、おののいている」と言ったほどである。 22しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、 23天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、 24新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である25あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。 26あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」27この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。 28このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。 29わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。

 

 

ヘブル人への手紙 9

19すなわち、モーセが、律法に従ってすべての戒めを民全体に宣言したとき、水と赤色の羊毛とヒソプとの外に、子牛とやぎとの血を取って、契約書と民全体とにふりかけ、 20そして、「これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言った。 21彼はまた、幕屋と儀式用の器具いっさいにも、同様に血をふりかけた。 22こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。 23このように、天にあるもののひな型は、これらのものできよめられる必要があるが、天にあるものは、これらより更にすぐれたいけにえで、きよめられねばならない。 24ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。 25大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。 26もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。

27そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、

28キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。

 

 

 

ローマ人への手紙 8

14すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。 15あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。 16御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。 17もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。 18わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。 19被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。 20なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、 21かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。 22実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。 23それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。 24わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。 25もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。 26御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。 27そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。 28神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。 29神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。 30そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。 31それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。 32ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。 33だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。 34だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。 35だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。 36「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。 37しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。 38わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 39高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

 

 

 

 

福音を受け取るために(救われ、天国に行くためには)

 

 

三位一体の神

神と人との交わりの基礎としての三位一体 牧師の書斎

 

 

 

 

福音(ふくいん)とは、聖書に書かれているとおり

人が全てのものを創造された神である創造主(御父:父なる神)を認識せず、感謝せずに、人自身が自己中心に生きていることを罪と認め、神に謝罪し、再び神の元に立ち帰ること

 

そして創造主の御子(子)であり、また創造主と同じように神であるイエス・キリストが、人としてこの世にこられ、私たち全ての人の罪を、身代わりとして背負って下さり、十字架に架けられたこと。

そしてその、

イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたこと。

 

②墓に葬られたこと。

 

③3日目に復活し、多くの人の前にあらわれたこと。

 

 

 

 

 

以上のことを信じると、神からの恵みにより救われます。

 

神と共にに天国で過ごすことのできる永遠の命が与えられます。

 

 

これが福音です。

 

 

 

 

 

非常にシンプルです。

 

たったこれだけです。

 

 

 

 

さんは、この神様から天国に来るように招かれています。

 

天国に行きたくないという方はいらっしゃらないのではないでしょうか?

 

福音を得ると、天国に行く約束を神様からしていただけます。

 

この福音を全ての人が受け取るように、伝え広げるために書かれたのが「聖書」です。

 

これから必ず「福音」を受け取ることが出来る方法をお教えしますので非常に簡単で時間もかかりませんので、以下のとおりにしてみてくださいね!

 

 

 

 

 

ず静かなところで一人になれるところに行ってください。

 

 

そして心を静めて、出来るだけ、ご自身が子供に戻ったかのように素直な気持ちになってくださいね。

 

 

リラックスしてください。 

 

 

準備はいいですか?

 

 

 

 

 

今、あなたは神様の前にいます。

 

 

 

 


様とは、この世界、宇宙、星、地球、

 

海や川、自然、水、

 

酸素、原子、素粒子

 

植物、花、穀物、虫、動物、

 

そして人、

 

これら全てのもの、万物を創造された方、

 

つまり創造主である神様の前に居ると思ってください。

 

 

 

 

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造主である神は、「全ての人は生まれながらに罪人である」と言われます。

 

その罪とは創造主を認識せずに生きる、

 

創造主に感謝せずに生きる、

 

創造主と関係のない、自己中心に人生を生きることが罪だと言われます。

 

そして創造主は罪のない人は一人も居ないと語ります。

 

全ての人が持つ「罪」

 

 

 

全ての人が生まれながらに「罪」があるのですから、全ての人が持って生まれる「課題」であるとも言えるのではないでしょうか?

 


全ての人はまず第一に、この全てのものを創造されたのは創造主なんだと気づき、その創造主のおかげで私たちは生きることができているのだと感謝する必要があるのではないでしょうか?

 

 

 

ではまず、心の中で、現在まで、その神から離れていた、背いていたことを「罪」だと認めてください。

 

 

全てを創造していただいた環境の中で今まで生活してきたにも関わらず、その創造主の存在を感じず、感謝することなく暮らしてきたことを「罪」だと認めてください。

 

的外れは同じ意味です。神様から見て、的が外れた人生ではなかったでしょうか?

 

hukuinn.hatenablog.com

 

 

して過去に神が全ての人に備えた「良心」に反したことをしたならば、それも、もちろん罪です。

 

生まれて一度も、子供の頃から、一度も人を傷つけず、親に反抗せず、人の悪口を言わず、妬まず、人を馬鹿にせず、人に八つ当たりせず、などなど「良心」に反せず生きてきた人はいるのでしょうか?

 

 

聖書にはそのような人は一人もいないと書かれています。

 

 

神様は皆さんのすべての人生をご存知です。

 

是非、今、人生を振り返り、自分がしてしまった愚かな思い、愚かな行為を思いだしたならば、素直に認めてください。

 

 

そして 「神様、すいませんでした。」と素直に心から謝りましょう。

 

 

 

神は全知全能です。皆さん一人、一人のことを全てご存知です。

 

皆さん一人、一人を本当に深く愛しておられます。

 

神は全ての人が、神のもとに帰ってくることを誰よりも望んでおられ、戻ってきた際には誰よりもお喜びになります。

 

 

今、神の元に立ち帰る決心をして下さい。

 

今日、この日から神と共に歩む決心をしてください。

  

 

 

して、

創造主の御子であり、創造主と同じように「神」であるイエス・キリストが「人」としてこの世にこられました。

 

世に降られたのが西暦がイエス・キリストの誕生が基準である通りに2017年前。(このブログを書いたのが2017年であるため)

 

イエス・キリストが世に下る以前に書かれた「旧約聖書

 

イエス・キリストが世に来られてから書かれた「新約聖書

 

 

 

旧約聖書の預言どおりに、

 

預言通りの系図で救世主として生まれ

 

かつ、預言通りに、全ての人の身代わりとして、

 

全ての人類の罪を精算していただいた方が、

 

イエス・キリストなのです。

 

そしてその、

イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたこと。

 

②墓に葬られたこと。

 

③3日目に復活し、多くの人の前にあらわれたこと。

 

以上のように創造主である神がイエス・キリストを死者の中から復活させられたことを心から信じます。(厳密には、イエス・キリストが、本当に私の罪のために十字架に架かって下さり、神(創造主)によって復活されたと心で信じた時点で救わています。)

 

エペソ人への手紙2章8節

あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 9決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。

 

 

 

 

そして

 

イエス・キリストが私たちの主(神)である」と口で言ってください。(心から信じていなければ、口で言い表しても救われていません)

 

(お体の状態などにより言い表すことができない場合はイエス・キリストは私の神です!」と心の声で言い表してくださいね。神様は全知全能ですので心の声を聞いてくださり、必ず救われます。)

 

 

 

ヨハネの手紙 第一 5章15節

だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

 

コリント人への手紙第一 12章 3節

聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。

 

 

 

 

 

おめでとうございます!!!

 

 

 

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音を心から信じた皆様は確実に神の救いと恵みを受けました。

 

 

 

今日この時まで、あなたを救いに導くために、あなたのことを神様が支え続けていただいたことに感謝しましょう。

 

 

 

音を得て、神と共に歩まれる決心をされた皆様は生まれ変わりました。

 

 

神は福音を得た皆様の成長を望まれます。

 

全ての教えは旧約聖書新約聖書を合わせた聖書にあります。

 

神を信じ、イエス・キリストを信じた皆様は聖書が理解できます。

 

聖書の言葉を守ることによって成長します。

 

そしてまた、まだ福音を得ていない人々に、皆様が福音を伝えることを望まれます。

 

今日、この時から、神への祈り、そして聖書を読むことによって、イエス・キリストに似た者となるように、聖霊の働きにより日々、変えていただけます。

 

神が、イエス・キリストが、聖霊があなたを見守り、成長させ、最後には永遠に神と御国で住むことが約束されたのです。

 

 

本当におめでとうございます!

 

 

 

 

 

 

 

福音を心から信じることで 誰でも、いつでも、どこでも、ひとりでも、一円も払わずに救われます。

 

 

 

洗礼をしたから救われるのでもなく、善行を積み重ねることで罪が赦され救われるのでもありません。