テレビで報道されない本当のエルサレム問題とは
今、わかりやすいニュース解説といえば、池上彰さんと思われている方も多いのではないでしょうか?
中東調査会の会員で、同会を通じて得た中東関連の情報を解説や執筆の参考にしていることを、『池上彰の経済教室』(テレビ東京)などで明かしている。
宗教関連の本を多数執筆している。池上自身は仏教徒で、海外でもそのことを自ら公表しているという。
池上さんは仏教徒と公表されています。
聖書はイエスキリストを信じた、真のクリスチャンだけが本当の聖書の理解、神の計画、神の意図を理解出来ます。
それが、神の奥義、
神の神秘なのです。
しかし池上彰さんは公表しておられるとおり、仏教徒ですから、本当の聖書の理解はありません。
池上彰さんが福音を得て、三位一体の神から救われ、真実のニュースを語っていただけるよう、お祈り申し上げます。
では聖書における本当のエルサレムの問題は何なのか!
その前に、もし、トランプ大統領が
「日本の北方四島はすべて日本の領土である!!!」と公言すれば、
日本はどうなるでしょうか?
ロシア関係が急速に悪化する可能性があるのではないでしょうか?
日本が「その通りだ!」と主張すれば、戦争に発展する可能性もあるのではないでしょうか?
日本人はどう思うでしょう。
北方領土の問題で戦争するくらいなら、トランプ大統領は余計な事を言わないで欲しいと思う日本人が大半ではないでしょうか?
一方、トランプ大統領は
そしてイスラエルのネタニヤフ首相はその言葉を大歓迎しました。
イスラエルは日本の四国程度の国土です。
人口も900万人弱
そんな小国が周囲のイスラム諸国を敵にまわしてでも、エルサレムはイスラエルの首都であることに、なぜこだわるのでしょうか?
では、そのエルサレムとは、
「エルサレム」という語彙を聖書(J-ばいぶる)で検索すると767回です。そのうち旧約聖書では627回、そして新約聖書では140回です。
「エルサレム」とは、
神のご計画をもった方が高い所から降りて来て、神のあらゆる祝福(シャーローム)を据える場所として、神が占領する(支配する)ところという意味になります。
このことがこの地上に実現するのは「千年王国」(メシア王国)においてであり、そのときまでは、真の平和はこの世に訪れることはないと言えるのです。それゆえ、人称なき存在である聖霊は「エルサレムの平和のために祈れ。」と命令しているのです(詩篇122篇6節)。この命令は、祝福の発信地としてのエルサレムにメシア(イエスキリスト)の再臨を促しているのです。
エルサレムは、まさに神の主権によって建てられる町(都)です。そのために用いられる人々の存在があったとしても、決して人間の力によって建てることのできない町なのです。それゆえ、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしいのです。」(詩篇127篇1節)と語られているのです。
上記にあるとおり、エルサレムは、聖書の神が支配するところとなります。
聖書の一部は信じていても、聖書全体は信じていません。
ではイスラム教とは何か?
その前に聖書の初めから少しおさらいします。
三位一体の神である創造主が初めに天と地を創造され、この世界にあるもの全てを創造され、最後に人を創造されました。
第一の人アダムとエバが悪の誘惑に従い、神との約束を破る罪をおかしエデンの園を追放されました。
現在の全ての人類はこのアダムとエバの子孫です。
アダムから20代目の子孫に「信仰の父」となるアブラハムを神は選ばれました。
アブラム(アブラハム)はずいぶん前から子どもが与えられることを神から約束されていました。しかし待てど暮らせど、子が与えられる兆しがありません。アブラムも年を取っていくし、妻のサライもしかりです。約束にしては時期が遅すぎます。まだ子どもをつくれるうちにと考えて、妻サライの女奴隷ハガルから生まれたのがイシュマエルでした。ところがその子が約束の子ではないと言われます。
ちなみに、このイシュマエルは後のアラブ民族、イスラム教のルーツとなります。今日でもイスラエルとアラブとが戦いを繰り返していますが、その問題の根がここにあります。神のご計画においては犬猿の仲となる宿命なのです。
創世記 16章11節 旧約聖書 約3500年前の書
11主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。 12彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」。
イスラム教のルーツであるイシュマエルが聖書にはっきりと書かれています。
アブラハムとサラが神からの約束の子が生まれるという神の言葉を信じることができず、
二人が高齢になったので、神の言葉を信頼せずに、人間の考えで、ハガルにアブラハムとの子を産ませました。
つまり、人間の神への不信仰によって生まれたのが、アラブ民族、イスラム教のルーツです。
「彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」
イサクとイシュマエルは兄弟です。現在も、その子孫同士である、ユダヤ人とアラブ民族、ユダヤ教とイスラム教の大半が敵対しています。
(しかし、現在の全てのアラブ民族、イスラム教徒が悪なのではなく、一部の聖戦主義のイスラム原理主義が紛争、テロを起こしています。イスラム教であれ、アラブ人であれ、すべての民族、すべての宗教を信じる人々に対して、三位一体の神は、人びとに神に立ち帰るように導いておられます。)
追記)2018年 7月6日
上記はアラブ人が福音を得てイエスキリストを信じることの重要性について
アラブ人がイエスキリストを信じ、アラブ人がユダヤ人に福音を伝えることは本当にユダヤ人の救いに導かれるために重要だということが語られています。
そして、イスラム教の象徴としてエルサレムに建てられているのが、
建物は、預言者ムハンマドが夜の旅(イスラー)に旅立ち、また、アブラハムが息子イサクを犠牲に捧げようとした(イサクのばん祭)場所と信じられている「聖なる岩」を取り囲むように建設され、692年に完成した。
聖なる岩
神が約束した子供はイサクです。
神に約束されてからも、妻サラに長い間身ごもらず、待ちに待った、待望の息子がイサクです。
神がアブラハムの神への信仰を試すために、
「子イサクを犠牲にしなさい」という命令に従うかを試され、
その時、神への深い信仰により、イサクに手をかけようとし、
神がアブラハムの深い信仰を確認されました。
もちろん、イサクは犠牲になる直前に、御使いによって止められました。
この、アブラハムが神への信仰を表し、神の御心にかなった場所が、「聖なる岩」なのです。
アブラハムが神から全ての人の信仰の父となった場所、聖なる岩
神の約束の子ではなく、神への不信仰によって生まれたイシュマエルが起源のイスラム教
聖なる岩はイスラム教の象徴である、岩のドームに囲まれています。
イスラム教にとってもアブラハムは重要な預言者の一人であるが、犠牲を捧げようとした場所であるとはみられていない。イスラム教においてこの岩が神聖とされるのは、預言者ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅(ミウラージュ)を体験した場所とされることである。
イスラム教にとって、エルサレムはムハンマドが一夜、昇天し、イスラム教の開教につながったことから、イスラム教の聖地とされています。
しかし、ムハンマドは紀元後600年頃の人物です。
数千年前の歴史的出来事である、
アブラハムが創造主にイサクを捧げようとする程の信仰を持つことで、アブラハムが神から祝福された記念すべき場所、聖なる岩を岩のドームにより覆い隠すことが、エルサレムにおける、大きな問題です。
この問題が一つです。
(全てのクリスチャンが旧約・新約聖書が全て真実であると信じていない場合はあります)
ですので同じ創造主を信じています。
イスラム教は一般的にユダヤ教、キリスト教と同じ一神教だと言われますが、
イスラム教はムハンマドが伝え広めた神はアッラーですのでユダヤ教、キリスト教の神とは異なります。
イスラムの唯一神。イスラム以前にも一神教の観念や「アッラー」の語はあったが,アラビア人は特にそれほどの崇拝をしなかった。ムハンマドがその語に明確な意味を与え,イスラムの唯一神とした。コーランにおいて,アッラーは唯一の神,世界の創造者,全知全能なるものとして描き出されている。アッラーの意志,定め,裁きは絶対的であるが,他方,彼が大慈大悲の徳をもつこと,超越的であるとともに最も身近な存在であることなどが信徒に説かれた。
旧約聖書の最後にはメシア(救世主)が来ると書かれて終わります。
ユダヤ教はイエスキリストをその、メシア(救世主)として認めず、現在も救世主を待ち続けています。
今後、エルサレムは聖書にあるとおり、
イスラエルと反キリストの平和条約締結から三年半後に
その神殿にて、反キリストが「私が神だ!」と宣言し、
その三年半後にイエスキリストがエルサレムに再臨され、反キリスト及び全ての悪を滅ぼします。
神にとって,エルサレム問題は問題ではなく、
聖書に書かれているとおり、エルサレムを重い石とするように、動かそうとするものは大きな傷を受けます。
ゼカリア12章2節
「見よ、わたしはエルサレムを、その周囲にあるすべての民をよろめかす杯にしようとしている。これはエルサレムの攻め囲まれる時、ユダにも及ぶ。 3その日には、わたしはエルサレムをすべての民に対して重い石とする。これを持ちあげる者はみな大傷を受ける。地の国々の民は皆集まって、これを攻める。
つまりこの問題は、聖書の預言通りであり、将来、聖書の預言通りに、イエスキリストの再臨によって、エルサレムは、神のあらゆる祝福(シャーローム)を据える場所として、神が支配するところになります。
現在、エルサレムを首都認定する問題において、
国連加盟国の大半はエルサレムをイスラエルの首都と認定していません。
しかし、三位一体の神が最終的に救う計画のある。イスラエル
異邦人に福音が伝わることによって祝福されたキリスト教国、アメリカ
そして最終的には、アブラハム契約に基づき、イスラエルを祝福するものは、祝福を受け、イスラエルを呪うものは、神からも呪われるのです。
現在、日本はエルサレム首都認定は国連側と同意見の反対でした。
このまま行けば日本も神からの祝福を受けることができなくなる可能性があります。
日本は、ただでさえクリスチャン人口が少なく、
クリスチャンであっても、聖書にあるイスラエルの箇所を、霊的クリスチャンと置き換える、置換え神学により、イスラエルへのとりなしの祈りが少ないことが、問題です。
イスラエルの宗教
ユダヤ教(75.0%),イスラム教(17.5%),キリスト教(2%),ドルーズ(1.6%)(2014年 イスラエル中央統計局)
創造主と同じように三位一体の神である、御子、イエスキリストはイスラエルにユダヤ人として降誕されました。
イエスキリストの復活を目撃し、信仰に入った、弟子や多くの人々もユダヤ人です。
ユダヤ人以外の人々、異邦人(日本を含め、ユダヤ以外の世界中の人々)に福音を伝道したのは使徒パウロですが、この異邦人のための福音宣教者もユダヤ人です。
そしてイエスキリスト昇天後の初代教会はユダヤ人によって福音が伝え広められました。
つまり、イエスキリストを信じたユダヤ人が福音を伝えていなければ、今の世界中にあるキリスト教の教会及び、クリスチャンは存在しません。
いわばユダヤ人のイエスキリストの不信仰によって、福音は異邦人へ伝えられ、
その福音を異邦人に伝えたのはユダヤ人です。
異邦人である私たちクリスチャンは、イスラエルの民、ユダヤ人に感謝し、
現在も神の計画により、不信仰にされているユダヤ人を、
今度は我々、異邦人が神に対し、ユダヤ人がイエスキリストを救い主として受け入れ、救われるためのとりなしの祈りをする必要があります。
イスラエル再建までの多くのクリスチャンは、イスラエル、ユダヤ人は、「イエスキリストを十字架に架けたのはユダヤ人だ」、そのことにより、聖書におけるイスラエルは霊的クリスチャンを意味することに置き換えるという置き換え神学によって、現在のイスラエル、ユダヤ人の重要性を認識していないクリスチャンも多いのではないでしょうか?
イスラエルが再建されて、今年で70年です。
ローマ人への手紙11章25節
兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。
一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、 こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。 27そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」。 28福音について言えば、彼らは、あなたがた(異邦人)のゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖(アブラハム,イサク、ヤコブ(イスラエル))たちのゆえに、神に愛せられる者である。 29神の賜物と召しとは、変えられることがない。 30あなたがた(異邦人)が、かつては神に不従順であったが、今は彼ら(イスラエル)の不従順によってあわれみを受けたように、 31彼ら(イスラエル)も今は不従順になっているが、それは、あなたがた(異邦人)の受けたあわれみによって、彼ら(イスラエル)自身も今あわれみを受けるためなのである。 32すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。
空中再臨 携挙について
地上再臨について
千年王国について
永遠の御国について
「見よ。わたしはすぐに来る」-「マラナ・タ」 - 牧師の書斎
ゼカリヤ書 12章
旧約聖書 約2500年前に書かれた書
エルサレムに攻め込む出来事は、大艱難時代の最終段階、イエスキリスト地上再臨前の出来事です。
1託宣イスラエルについての主の言葉。すなわち天をのべ、地の基をすえ、人の霊をその中に造られた主は、こう仰せられる、 2「見よ、わたしはエルサレムを、その周囲にあるすべての民をよろめかす杯にしようとしている。これはエルサレムの攻め囲まれる時、ユダにも及ぶ。 3その日には、わたしはエルサレムをすべての民に対して重い石とする。これを持ちあげる者はみな大傷を受ける。地の国々の民は皆集まって、これを攻める。 4主は言われる、その日には、わたしはすべての馬を撃って驚かせ、その乗り手を撃って狂わせる。しかし、もろもろの民の馬を、ことごとく撃って、めくらとするとき、ユダの家に対しては、わたしの目を開く。 5その時ユダの諸族は、その心の中に『エルサレムの住民は、その神、万軍の主によって力強くなった』と言う。 6その日には、わたしはユダの諸族を、たきぎの中の火皿のようにし、麦束の中のたいまつのようにする。彼らは右に左に、その周囲にあるすべての民を、焼き滅ぼす。しかしエルサレムはなお、そのもとの所、すなわちエルサレムで、人の住む所となる。 7主はまずユダの幕屋を救われる。これはダビデの家の光栄と、エルサレムの住民の光栄とが、ユダの光栄にまさることのないようにするためである。 8その日、主はエルサレムの住民を守られる。彼らの中の弱い者も、その日には、ダビデのようになる。またダビデの家は神のように、彼らに先だつ主の使のようになる。 9その日には、わたしはエルサレムに攻めて来る国民を、ことごとく滅ぼそうと努める。 10わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。彼ら(ユダヤ人)はその刺した者(イエスキリスト)を見る時、ひとり子のために嘆くように彼(イエスキリスト)のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼(イエスキリスト)のためにいたく悲しむ。 11その日には、エルサレムの嘆きは、メギドの平野にあったハダデ・リンモンのための嘆きのように大きい。 12国じゅう、氏族おのおの別れて嘆く。すなわちダビデの家の氏族は別れて嘆き、その妻たちも別れて嘆く。ナタンの家の氏族は別れて嘆き、その妻たちも別れて嘆く。 13レビの家の氏族は別れて嘆き、その妻たちも別れて嘆く。シメイの氏族は別れて嘆き、その妻たちも別れて嘆く。 14その他の氏族も皆別れて嘆き、その妻たちも別れて嘆くのである。
ゼカリヤ書 13章
1その日には、罪と汚れとを清める一つの泉が、ダビデの家とエルサレムの住民とのために開かれる。 2万軍の主は言われる、その日には、わたしは地から偶像の名を取り除き、重ねて人に覚えられることのないようにする。わたしはまた預言者および汚れの霊を、地から去らせる。 3もし、人が今後預言するならば、その産みの父母はこれにむかって、『あなたは主の名をもって偽りを語るゆえ、生きていることができない』と言い、その産みの父母は彼が預言している時、彼を刺すであろう。 4その日には、預言者たちは皆預言する時、その幻を恥じる。また人を欺くための毛の上着を着ない。 5そして『わたしは預言者ではない、わたしは土地を耕す者だ。若い時から土地を持っている』と言う。 6もし、人が彼(イエスキリスト)に『あなたの背中の傷は何か』と尋ねるならば、『これはわたしの友だちの家で受けた傷だ』と、彼は言うであろう」。 7万軍の主は言われる、「つるぎよ、立ち上がってわが牧者を攻めよ。わたしの次に立つ人を攻めよ。牧者を撃て、その羊は散る。わたしは手をかえして、小さい者どもを攻める。 8主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。 9わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼ら(ユダヤ人)はわたし(イエスキリスト)の名を呼び、わたし(イエスキリスト)は彼ら(ユダヤ人)に答える。わたし(イエスキリスト)は『彼ら(ユダヤ人)はわが民である』と言い、彼ら(ユダヤ人)は『主(イエスキリスト)はわが神である』と言う」。
ゼカリヤ書 14章
1見よ、主の日が来る。その時あなたの奪われた物は、あなたの中で分かたれる。 2わたしは万国の民を集めて、エルサレムを攻め撃たせる。町は取られ、家はかすめられ、女は犯され、町の半ばは捕えられて行く。しかし残りの民は町から断たれることはない。 3その時、主は出てきて、いくさの日にみずから戦われる時のように、それらの国びとと戦われる。 4その日には彼(イエスキリスト)の足が、東の方エルサレムの前にあるオリーブ山の上に立つ(地上再臨)。そしてオリブ山は、非常に広い一つの谷によって、東から西に二つに裂け、その山の半ばは北に、半ばは南に移り、 5わが山の谷はふさがれる。裂けた山の谷が、そのかたわらに接触するからである。そして、あなたがたはユダの王ウジヤの世に、地震を避けて逃げたように逃げる。こうして、あなたがたの神、主はこられる、もろもろの聖者と共にこられる。 6その日には、寒さも霜もない。 7そこには長い連続した日がある(主はこれを知られる)。これには昼もなく、夜もない。夕暮になっても、光があるからである。 8その日には、生ける水がエルサレムから流れ出て、その半ばは東の海に、その半ばは西の海に流れ、夏も冬もやむことがない。 9主(イエスキリスト)は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。 10全地はゲバからエルサレムの南リンモンまで、平地のように変る。しかしエルサレムは高くなって、そのもとの所にとどまり、ベニヤミンの門から、先にあった門の所に及び、隅の門に至り、ハナネルのやぐらから、王の酒ぶねにまで及ぶ。 11その中には人が住み、もはやのろいはなく、エルサレムは安らかに立つ。 12エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。 13その日には、主は彼らを大いにあわてさせられるので、彼らはおのおのその隣り人を捕え、手をあげてその隣り人を攻める。 14ユダもまた、エルサレムに敵して戦う。その周囲のすべての国びとの財宝、すなわち金銀、衣服などが、はなはだ多く集められる。 15また馬、途n、らくだ、ろば、およびその陣営にあるすべての家畜にも、この災のような災が臨む。 16エルサレムに攻めて来たもろもろの国びとの残った者は、皆年々上って来て、王なる万軍の主を拝み、仮庵の祭を守るようになる。 17地の諸族のうち、王なる万軍の主を拝むために、エルサレムに上らない者の上には、雨が降らない。 18エジプトの人々が、もし上ってこない時には、主が仮庵の祭を守るために、上ってこないすべての国びとを撃たれるその災が、彼らの上に臨む。 19これが、エジプトびとの受ける罰、およびすべて仮庵の祭を守るために上ってこない国びとの受ける罰である。 20その日には、馬の鈴の上に「主に聖なる者」と、しるすのである。また主の宮のなべは、祭壇の前の鉢のように、聖なる物となる。 21エルサレムおよびユダのすべてのなべは、万軍の主に対して聖なる物となり、すべて犠牲をささげる者は来てこれを取り、その中で犠牲の肉を煮ることができる。その日には、万軍の主の宮に、もはや商人はいない。
イエスキリストが地上再臨するオリーブ山からの景色
そして、もろもろの聖者である、真のクリスチャンは、地上再臨時に、主イエスキリストと共にオリーブ山に降り立ちます。
エルサレム問題よりも、最も大きな問題は、
エルサレムに地上再臨するイエスキリストが神であることを知らずに生きていることです。
ますます聖書の預言の成就が近づいています。
ロシア、イラン、トルコ、中国、北朝鮮、フィリピンなどなど大国の代表は独裁者のようです。
世界は一触即発、寸前です。
皆さん! 一日も早く福音を得てくださいね!!!
福音を受け取るために(救われ、天国に行くためには)
三位一体の神
福音を受け取るために
福音(ふくいん)とは、聖書に書かれているとおり
人が全てのものを創造された神である創造主(御父:父なる神)を認識せず、感謝せずに、人自身が自己中心に生きていることを罪と認め、神に謝罪し、再び神の元に立ち帰ること
そして創造主の御子(子)であり、また創造主と同じように神であるイエス・キリストが、人としてこの世にこられ、私たち全ての人の罪を、身代わりとして背負って下さり、十字架に架けられたこと。
そしてその、
①イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたこと。
②墓に葬られたこと。
③3日目に復活し、多くの人の前にあらわれたこと。
以上のことを信じると、神からの恵みにより救われます。
神と共にに天国で過ごすことのできる永遠の命が与えられます。
これが福音です。
非常にシンプルです。
たったこれだけです。
皆さんは今、この神様から天国に来るように招かれています。
天国に行きたくないという方はいらっしゃらないのではないでしょうか?
福音を得ると、天国に行く約束を神様からしていただけます。
この福音を全ての人が受け取るように、伝え広げるために書かれたのが「聖書」です。
これから必ず「福音」を受け取ることが出来る方法をお教えしますので非常に簡単で時間もかかりませんので、以下のとおりにしてみてくださいね!
まず静かなところで一人になれるところに行ってください。
そして心を静めて、出来るだけ、ご自身が子供に戻ったかのように素直な気持ちになってくださいね。
リラックスしてください。
準備はいいですか?
今、あなたは神様の前にいます。
神様とは、この世界、宇宙、星、地球、
海や川、自然、水、
酸素、原子、素粒子、
植物、花、穀物、虫、動物、
そして人、
これら全てのもの、万物を創造された方、
つまり創造主である神様の前に居ると思ってください。
創造主である神は、「全ての人は生まれながらに罪人である」と言われます。
その罪とは創造主を認識せずに生きる、
創造主に感謝せずに生きる、
創造主と関係のない、自己中心に人生を生きることが罪だと言われます。
そして創造主は罪のない人は一人も居ないと語ります。
全ての人が持つ「罪」
全ての人が生まれながらに「罪」があるのですから、全ての人が持って生まれる「課題」であるとも言えるのではないでしょうか?
全ての人はまず第一に、この全てのものを創造されたのは創造主なんだと気づき、その創造主のおかげで私たちは生きることができているのだと感謝する必要があるのではないでしょうか?
ではまず、心の中で、現在まで、その神から離れていた、背いていたことを「罪」だと認めてください。
全てを創造していただいた環境の中で今まで生活してきたにも関わらず、その創造主の存在を感じず、感謝することなく暮らしてきたことを「罪」だと認めてください。
罪と的外れは同じ意味です。神様から見て、的が外れた人生ではなかったでしょうか?
そして過去に神が全ての人に備えた「良心」に反したことをしたならば、それも、もちろん罪です。
生まれて一度も、子供の頃から、一度も人を傷つけず、親に反抗せず、人の悪口を言わず、妬まず、人を馬鹿にせず、人に八つ当たりせず、などなど「良心」に反せず生きてきた人はいるのでしょうか?
聖書にはそのような人は一人もいないと書かれています。
神様は皆さんのすべての人生をご存知です。
是非、今、人生を振り返り、自分がしてしまった愚かな思い、愚かな行為を思いだしたならば、素直に認めてください。
そして 「神様、すいませんでした。」と素直に心から謝りましょう。
神は全知全能です。皆さん一人、一人のことを全てご存知です。
皆さん一人、一人を本当に深く愛しておられます。
神は全ての人が、神のもとに帰ってくることを誰よりも望んでおられ、戻ってきた際には誰よりもお喜びになります。
今、神の元に立ち帰る決心をして下さい。
今日、この日から神と共に歩む決心をしてください。
そして、
創造主の御子であり、創造主と同じように「神」であるイエス・キリストが「人」としてこの世にこられました。
世に降られたのが西暦がイエス・キリストの誕生が基準である通りに2017年前。(このブログを書いたのが2017年であるため)
旧約聖書の預言どおりに、
預言通りの系図で救世主として生まれ
かつ、預言通りに、全ての人の身代わりとして、
全ての人類の罪を精算していただいた方が、
イエス・キリストなのです。
そしてその、
①イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたこと。
②墓に葬られたこと。
③3日目に復活し、多くの人の前にあらわれたこと。
以上のように創造主である神がイエス・キリストを死者の中から復活させられたことを心から信じます。(厳密には、イエス・キリストが、本当に私の罪のために十字架に架かって下さり、神(創造主)によって復活されたと心で信じた時点で救わています。)
エペソ人への手紙2章8節
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 9決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
そして
「イエス・キリストが私たちの主(神)である」と口で言ってください。(心から信じていなければ、口で言い表しても救われていません)
(お体の状態などにより言い表すことができない場合は「イエス・キリストは私の神です!」と心の声で言い表してくださいね。神様は全知全能ですので心の声を聞いてくださり、必ず救われます。)
ヨハネの手紙 第一 5章15節
だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。
コリント人への手紙第一 12章 3節
聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。
おめでとうございます!!!
福音を心から信じた皆様は確実に神の救いと恵みを受けました。
今日この時まで、あなたを救いに導くために、あなたのことを神様が支え続けていただいたことに感謝しましょう。
福音を得て、神と共に歩まれる決心をされた皆様は生まれ変わりました。
神は福音を得た皆様の成長を望まれます。
神を信じ、イエス・キリストを信じた皆様は聖書が理解できます。
聖書の言葉を守ることによって成長します。
そしてまた、まだ福音を得ていない人々に、皆様が福音を伝えることを望まれます。
今日、この時から、神への祈り、そして聖書を読むことによって、イエス・キリストに似た者となるように、聖霊の働きにより日々、変えていただけます。
神が、イエス・キリストが、聖霊があなたを見守り、成長させ、最後には永遠に神と御国で住むことが約束されたのです。
本当におめでとうございます!
福音を心から信じることで 誰でも、いつでも、どこでも、ひとりでも、一円も払わずに救われます。
そもそも救われるとはどういうことか?
http://seishonyumon.com/question/428/
三分で分かる聖書入門 全リスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PLQ19z6ZsfJHyF4rAvDewELJHdSeUmMreS
携挙(けいきょ)を逃したらするべきこと(携挙について)
自分が救われているかどうかどうすれば分かるのか?
ハーベストタイムメッセージステーション(本格的な聖書の学びが無料で掲載されています)
https://subsplash.com/messagestation/top-page