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世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

イエス・キリストとは

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福音を得る前は

私はイエス・キリストを人だと思っていました。

知っていたことといえば 

クリスマスがキリスト誕生日(実際にはこの日ではないと言われています)

最後の晩餐の絵

十字架に架けられた

などぐらいで、深く考えたことがありませんでした。

 

皆さんはいかがですか?

 

聖書を読み続ければ、神であり、神の御子であるイエスキリストが本当に私たちの罪を背負うためにこの世に来られ、十字架にかかることで全ての罪を精算していただいたことがわかります。

 

まさか神であり、神の御子である方が 人となってこの世にきたなんて始めは信じられませんでした。

 

今日は日本ではよく知られていない、このイエスキリストについて解説していきましょう。

 

イエス・キリストとは

ヘブル語では「イェシュア・ハマシーアッハ」、ギリシャ語では「イエスース・クリストス」、英語では「ジーザス・クライスト」(Jesus Christ)と言います。「イエス・キリスト」というのは、

イエスが名前で、

キリストは苗字ではなく、「キリスト」とは職名です。

 

イエスという名の意味
「イエス」という名は旧約聖書に登場するモーセの後継者ヨシュアギリシア語訳「イエスース」から来ています。ヘブル語では「イェシュア」で、「主は救い」という意味です。

 

「キリスト」とは、神の働きのために特別な力と権威を授けるため「油注がれた者」を意味します。旧約聖書では、「王」「大祭司」「預言者」にのみ任職の油が注がれました。したがって、「イエス・キリスト」とは、イエスが神からの任職の油を注がれた「王」であり、「大祭司」であり、「預言者」という表現なのです。

初代教会においては、「イエスがキリストであった」ということが「良き知らせ」(福音)でした。この福音が人々を救うので、「救い主」とも言われているのです。「救い」は「福音」からもたらされるのです。

 

以下のサイトにて詳しく書かれています。

序 「イエスはキリストです」 - 牧師の書斎

 

聖書には旧約聖書新約聖書とがあります。

共に神の霊により人に書かせたものであるとされています。

約とは神との契約という意味です。

イエスキリストが新しい契約 イエスキリスト以前を旧約といいます。

旧約聖書にはイエスキリストが人として来る前からイエスキリストの事が書かれています。

旧約聖書だけを信じているのがユダヤ人です。

 

旧約聖書に書かれている救世主をイエスキリストであると認めず、現在も救世主が来ることを待ち望んでいます。新約聖書を認めていません。

ただし、ユダヤ人がイエスキリストを信じない事は神の今後のご計画により信じていません。

創世記 12章1~3

 主はアブラムに言われた。
「…あなたを祝福する人をわたしは祝福し
 あなたを呪う者をわたしは呪う。
 地上の氏族はすべて
 あなたによって祝福に入る。」

アブラムは後にアブラハムといわれユダヤ人の祖です。

ですので今後、ユダヤ人を通して最終的に全ての国民が祝福に入るという神のご計画があります。

 

真のキリスト教徒は旧約聖書新約聖書共に信じています。

 

イエスキリストに関する預言は、旧約聖書の中にたくさんあります。多くの解釈者たちは、メシヤについての預言は何百もあるといいます。 以下は、その中でも最も明確で重要だとされる預言です。

イエスのご降誕について

イザヤ7章14節

紀元前8世紀の預言者イザヤが書いたもの

「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名つ”ける。」

 イザヤ9章6節

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその方にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」  

ミカ5章2節

ベツレヘム、エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、私のために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から永遠の昔からの定めである。」
時代がすすんでBC一九世紀になると、キリストがイスラエル民族の「ユダ」の部族に生まれることが、予言されました。

創世四九章10
 「つえはユダを離れず、立法者(神)のつえは、その足の間を離れることなく、シロ(究極的にはキリストを意味する)の来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う」
 さらにBC1000年頃になると、予言はさらに詳しくなります。キリストはユダの部族の「ダビデ王」の家系に生まれることが、予言されるのです。


詩八九・二九、三六 

「わたし(神)は、彼(ダビデ)の家系をとこしえに堅く定め、その位を天の日数のようにながらえさせる。・・・・・・彼の家系はとこしえに続き、彼の位は、太陽のように常にわたしの前にある」
 この言葉は、イエス・キリストダビデの子孫として生まれ、私たちの救い主、また「王の王、主の主」として立てられたことによって、その究極的な成就を見ました。この予言通り、キリストはダビデの家系であるヨセフとマリヤの家に、ご降誕されました
 

このように、キリストはまず人類の中に降誕することが予言され、つぎにイスラエル民族の「ユダ」の部族、またユダ族のダビデ王の家系に生まれるというように、時代が進むごとに、予言がせばめられていったのです。

 



イエスの宣教活動とその死に関して

ゼカリヤ9章9節

「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和でロバに乗られる。それも、雌ロバの子の子ロバに。」  

詩篇22篇16-18節

「犬どもが私を取り囲み、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。私は私の骨をみな数えることができます。彼らは私を眺め、私を見ています。彼らは私の着物を互いに分け合い、私のひとつの着物をくじ引きにします。(十字架での預言)

イザヤ書の53章

だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。

ダニエル9章の七十週の預言は、イエスキリストが断たれるその日を正確に予告しています。イザヤ章6節では、イエスが受けられたむち打ちに関して正確な預言があります。 ゼカリヤ12章10節は、メシヤが突き刺されること、それは、イエスが十字架で亡くなられたあとに起こったことですが、それを予告しています。他にも多くの例を書かれています。旧約聖書は、イエスキリストが救世主として来られることを、預言しています。

 

この神が与えた旧約聖書の預言どおりに、

預言通りの系図で救世主として生まれ

かつ、預言通りに全ての人の身代わり、

全ての人類の罪を精算していただいた方が、

イエスキリストなのです。

 

 

 イエスキリストの初臨とは

人の全ての罪の代償として十字架にかかることをわかっていた、神であり、人であるイエスキリストがはじめにこられたのが、今から2017年前です。(現在が2017年であるので)実際にはさらに4年前だとも言われています。

この神であるイエスキリストが初めて来られたことを初臨といいます。

 

イエスキリストの再臨とは(主の日 終わりの日)

またイエスキリストは再び来ると聖書には明確に書かれています。

これを再臨といいます。

つまり世界は西暦(A.D)を通して、キリストの再臨を数えていることになります。

もし今日、イエスキリストが再臨されたなら、2017年が主の日、主の再臨の年となります。

 

イエスキリストが十字架にかかったことなどはご存知だと思います。最近はイースター(復活祭)などもテレビなどでも伝えられているので知っている方も多いと思います。

しかし再臨については全く、日本人は知らないのではないでしょうか?

 

 

約2000年前に旧約聖書が示すとおりに、ユダヤ人の地にイエスキリストが救世主として現れた。

しかし、ユダヤ人が救世主として受け入れなかった、つまりは福音を受け入れなかった。

そのためにその福音が異邦人(ユダヤ人以外の人)のもとに今現在まで世界中に広がっている。

現在は世界人口74億人弱です。

その内キリスト教信仰者は約20億人と言われています。

聖書は世界2479の言語で翻訳され 現在まで4000億冊以上発行されています。

日本では1874年~2004年に3億4584万1334冊が頒布されています。

日本ではクリスチャン人口は1%を超えたことがないと言われています。

現状は非常に少ないです。

西暦表記で日常を過ごし、クリスマスを祝い、イースター(イエスキリストの復活祭)を知り、

聖書は今は無料アプリで見ることが出来る時代です。

神様は皆さんに気づける全てのことをしてくださってます。

あとは皆さんが創造主とイエスキリストを信じ、福音を得て救われるのを待っているのです。

それでも受け取らないというのなら、7年間の大艱難の試練を通じて神を信じるか、信じないかの選択をしなければなりません。

 

マタイ24:14ーこの御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

 

 

主の日(終わりの日)とは

その聖書はイエスキリストの再臨を主の日あるいは終わりの日と呼ばれています。

この終わりの日の前に大艱難時代があり、

福音を得ていない者

悪を行う者

など全て大艱難の末に全世界人口の4分の3が滅亡します。

つまりイエスキリストが王となる千年王国を築くために、

キリストを信じない者は全て滅ぼされるのです。

 

 

しかし神の御心は以下のように

テモテ第一2:4

 神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

ペテロ第二3:9

ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう

 

マタイによる福音書 22

「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。 これがいちばん大切な、第一の掟である。 第二もこれと同様である、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」

これが一番大切な掟だとイエスキリストは言われました。

この掟を守る人々と、イエスキリストを中心とした千年王国がつくられます。

全ての悪を滅ぼしてからイエスキリストが統治する千年王国が始まり、その後永遠の御国になります。

 

 

今はまだ福音を誰でも自由に得ることが出来る時代です。

 福音を得た人は、終わりの日に大艱難に会うことがありません。

 

これから世界は聖書が示すとおり国と国とが対立するようになり、

反キリスト(暴君)が現れてからは自由にキリストを信仰することができなくなります、つまり福音を得ることが命懸けの時代に一気に変わります。

 

今はその終わりの日の兆候が今にも整いつつある状況です。

 

マタイ24章3節 終末の徴

人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国(みくに)の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣(の)べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

 

 

ですので今、 福音を得ていただくことが大切なのです。

 

ヨハネ福音書14章6

わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

 

 

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