世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

聖霊とは What is the Holy Spirit?

 

 

「柔和さ」をもたらす鳩 - 牧師の書斎

 

上記から引用させていただきました。

 

旧約聖書においても、新約聖書においても、聖霊は「風」や「息」というシンボルで表されています。それは「神のいのち」そのものです。

 

創世記2章7節には「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹きこまれた。

 

そこで、人は、生きものとなった」とあります。

 

いのちの根源としての「いのちの息」を吹き込まれることによって、人は神との人格的な交わりを持つことのできる特別な能力を与えられました。

 

それは神のかたちにかたどって造られた人間だけに与えられたもので、神とのかかわりにおいて、神の愛や罪の赦しを受けて喜ぶことのできる能力、意味しています。

 

このように人を新しく生かし、人を神に立ち返らせて回復させるのは神の「息吹」としての「ルーアッハ」רוּחַである聖霊です。

 

この方こそ私たちが神とのかかわりを豊かにし、神の愛ー長さ、広さ、高さ、深さにおいて人知をはるかに越えた神の愛ーを知る(経験する)ための必要不可欠なお方です。

 

風はだれからも支配されることなく、思いのままに吹きます。またどんな隙間からでも入っていきます。そしてひとたび聖霊の風が吹くならば人の予想をはるかに越えたすばらしいことが起こります。

 

聖霊の象徴は様々ありますがまず初めに、「鳩」です。

 

聖書の箇所はマルコ1:9~11です。

 

この箇所は、イエスが30歳になられて、本格的に公生涯へと入られる直前の箇所です。そのころバプテスマのヨハネが人々に洗礼を授けていましたが、イエスも洗礼を受けられました。

 

バプテスマのヨハネが施していた洗礼は悔い改めの洗礼で、人々を神に心を向かせるためのものでした。

 

私たちも洗礼を受ける場合には、悔い改めてイエスと一つになるためのものですが、イエスの場合のそれは、悔い改めの洗礼ではなく、私たち人間と一つになるための洗礼でした。

 

ですから、同じ洗礼でも意味が異なっています。

 

エスが洗礼を受けられたときに「天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。」とあります。

 

天が裂けて、そこから御霊が鳩のようにイエスの上に下られたのです。

 

鳩のように」というのが微妙です。実際の「鳩」ではなく、「鳩のように」とあります。御霊は霊(プニューマ)ですから、本来は肉眼では見えないのですが、このときは「鳩のように下られるのをイエスはご覧になった」のです。

 

事実、聖霊はイエスの生涯のスタート、つまりマリヤの受胎から深くかかわっておられます。

 

またここでのイエスの洗礼直後の聖霊が下ったのは、イエスが公にご自分の働きを開始されるためでした。

 

聖霊が鳩のようにイエスの上に下られたというのは、「鳩」のイメージが聖霊という方のご性格とその働きをよく表わしているからです。

 

それは、一言で言うならば「柔和さ」というイメージですが、それは後に取り上げたいと思います。

 

さて、「鳩」のようなイメージをもった聖霊が、イエスの誕生においてのみならず、イエスの公の生涯に入る時にイエスの上に下られたのです。

 

そしてその公生涯においていつもイエスに寄り添うようにして存在されました。とすれば、イエスは当然のこの聖霊のご性質を共有されているはずです。

 

聖霊は決して「私は・・」というような自己主張をされません。その存在さえ知られることを望みません。

 

常に自分の存在を隠しながら、御子イエスの傍らに身を寄せ、「御子」を、または「御子と御父とのかかわり」を支えておられた方です。

 

それゆえに御子イエスもご自分が神であるという立場に固執せず、その立場を捨てられ、しもべとしての立場を取られたと言えます。

 

 

自慢することなく、自己主張せず、自分の存在をアピールすることもなく、常に、控え目で、御子に寄り添いながら、御子の栄光を表わすことを喜びとされる方。

 

また決して争うことをしません。それを「一言」で言い表すなら、「柔和さ」と言うことができるのではないかと思います。

 

 

「柔和」、「素直」、「優しさ」と訳される「プラウテース」。本来、飼いならされた動物のさまや従順なさまを表わす語彙です。新約聖書ではもっと深い意味を持っています。

 

 

(神に対しては)
神に対する抵抗や敵対をしない素直な態度です。

魂のしとやかさです。

みことばに対しても素直に受け入れます。

これは「謙遜」な心にも通じるので、聖書ではしばしば「謙遜」と並記されることが多いようです。(マタイ11:29/エペソ4:2/コロサイ3:12)。

 

(人に対しては)
「柔和」は、臆病や弱々しさではありません。むしろ強い心です。

 

これは傲慢な自己満足から解放された、すべてを耐える、落ち着いた優しい精神です。

 

またそれは、「力を制御し、周囲がいきり立っている状況の中でも、穏やかで穏和であり、怒り狂ったり逆上したりする人をなだめ、機転と奥ゆかしい礼儀正しさを備えていて、他の人の自尊心や尊厳をくじかないようにする」性質です。

 

エスがマタ 5:5で「 柔和な者(the meek)は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」と語ったように、柔和な者こそ、地を受け継ぐ者となるのです。

 

聖霊の最初のシンボルとしての「鳩」は、平和、優しさ、柔和、穏やかさ、親しさ、謙遜、近づきやすさのシンボルです。

 

聖霊は、私たちに神に対する素直さ、みことばに対する素直さを与え、人に対しても決して争わず、神にゆだるね「柔和さ」を与えることのできる方です。そして「柔和さ」はひとつの力です。

 

しかし聖霊は、私たちの同意なしには何事もなさらない方でもあるのです。しかしひとたび、私たちがその方を受け入れ、その方がなそうとされることに同意するならば、私たちの思いを越えたことを私たちのうちに築いてくださる方なのです。

 

すでにこの方はキリストを信じる者に住んでおられます。ですから、「どうか、来てください」と祈る必要はありません。すでにこの方は来てくださっているのですから。むしろこう祈りたいと思います。

 

 

「御父と御子から遣わされた聖霊様、私のうちに満ちてください。あなたをいつも歓迎します。あなたが私のうちにしようとしてくださることに私は同意します。御子が柔和な方であられたように、私もその柔和さという力を身に着けさせてください。」

 

皆様が神に立ち返り、福音を得たならば、神からこの聖霊が皆様の内に住まれます。

 

聖霊が皆様の内に満たされ、聖霊にご自身を委ねるならば、皆さん自身を作り替えてくださいます。

 

 

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