世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

仏教行事 お盆とは お彼岸とは

jodo.or.jp

上記より抜粋

 

お彼岸とは

「春秋に迎えるお彼岸は、それぞれ春分秋分の日を中日としての一週間をいい、日本独特の行事です。そしてこのような形態で行われるようになったのは聖徳太子の時代からといわれています。平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代年中行事化されたという歴史があります。

 

さらにその根拠を尋ねてみますと、前述の二河白道を説かれた善導大師の著書『観経疏(かんぎょうしょ) 』の「日想観」が源となっています。

 

善導大師は春分秋分の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈むところから、その陽の沈みゆく西方の彼方にある極楽浄土に思いを凝らすのに適していると説かれました。

 

お彼岸はこの日想観を行って極楽浄土を慕うことを起源とした仏事なのです。」

 

 

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浄土真宗も同じように

親鸞聖人が尊敬されている善導大師(ぜんどうだいし)の有名な譬え話に、
二河白道(にがびゃくどう)の譬え話があります。

 

その譬え話では、水の河と火の河の二つの河があり、その河をはさんで、こちらの岸と向こう岸があります。そして、こちらの岸と向こう岸の間に細い白い道が伸びています。


こちらの岸が私たちの生きている世界、向こう岸が極楽に例えられています。こちらの岸を此岸(しがん)、向こう岸を彼岸(ひがん)といいます。彼岸とは、極楽のことをいいます。

 

仏教では、極楽は、西方にあると教えられています。

これより西の方、十万億の仏土を過ぎて世界有り、名けて極楽という。(阿弥陀経

「彼岸」は西にあるので西岸ともいい、「此岸」は東にあるので東岸ともいわれます。


3月の春分の日と9月の秋分の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈みます。

 


その日に、西方の極楽におられる阿弥陀仏を礼拝するのにふさわしいという考えから、次第に、極楽をしのぶ日、また、先祖をしのぶ日として、定着していったといわれます。

 

 

 

前にも取り上げましたが聖書の語る天国と仏教の語る極楽浄土は同じではありません。

 

天国とは創造主が居られるところが天国です。

 

 

極楽浄土とは

阿弥陀仏のいる世界。西方十万億土の彼方にあり、まったく苦しみのない理想郷で、今も阿弥陀仏が法を説いているとされる。阿弥陀仏を信じ、ひたすら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えると、死後ここに迎えられるという。西方浄土。極楽世界。極楽界。極楽安養浄土。極楽。
 
 
その阿弥陀仏とは
遠い遠い昔の、そのまた遠い遠い昔、世自在王仏せじざいおうぶつという仏がおられました。その時、一人の国王がおられました。王は、その仏の教えをお聞きして、心からの喜びをいだかれたのです。
そして、自分も仏になって、世の人びとを悩みや苦しみから救いたいと願うようになられたのです。王は、国を棄て、王位を捨て、世自在王仏のもとで出家して修行者となり、法蔵と名告なのられました。これが法蔵菩薩です。
そしてこの法蔵菩薩が、無上なる悟りを得ようと発心し、生きとし生ける者を救済するための本願として四十八願をたて、五劫(216億年)という途方もなく長い間修行を重ね、ついにその誓願と修行を成就して、いまから十劫(432億年)というはるか以前に仏となった。
この仏は阿弥陀仏とよばれ、ここより西方の十万億仏土を過ぎた安楽(極楽(ごくらく)のこと。原語はスカーバティー、「楽のあるところ」の意)という極楽浄土において、現在も教えを説いているという。
十万億仏土とは

1光年とは 光が 1年間ですすむ距離なので 仮に 1仏土を 一万光年として 計算すると
  十万億仏土の距離 (娑婆世界から極楽浄土まで) とは 100,000,000,000,000,000光年(十京光年)となります。

西方十万億仏土 極楽浄土 阿弥陀仏

www.higashihonganji.or.jp

 

 

つまり、お彼岸とは、

遠い遠い昔の、そのまた遠い遠い昔、世自在王仏せじざいおうぶつという仏のもとで、その昔、一人の国王であった人が出家し、法蔵菩薩として216億年間修行し、そして今から432億年前に阿弥陀仏となられた、この阿弥陀仏が造った所が極楽浄土。

 

その極楽浄土は西方の十万億仏土を過ぎたところにあるとされ、

春分秋分の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈むところから、その陽の沈みゆく西方の彼方にある極楽浄土に思いを凝らすのに適しているとされ、

このことから次第に、極楽をしのぶ日、また、先祖をしのぶ日として、お彼岸行事が定着していったといわれます。

 

 

さんいかがですか?

 

阿弥陀仏となったのは432億年前です

 

そして216億年間修行されて法蔵菩薩阿弥陀仏となった。

 

「最新科学では宇宙はおよそ138億年前に誕生した。」というのが通説です。

宇宙の年表 - Wikipedia

 

 

紀元前500年から600年に説かれた説法ですから、昔の人々は、教養や知識、知恵に富んでいるわけではありませんでした。ですのでこのことを聞いても「ありがたやー!」と聞くしかなかったでしょう。

 

 

しかし今現在、全ての人が読み書きができるほどに教養、知識は与えられています。

 

 

そのような現代の人々が、「遠い昔の一人の王であった人が216億年間修行したとか、432億年前に阿弥陀仏となって今も極楽浄土で説法を説いておられます。」と聞くと、余りにも非科学的過ぎると感じるのではないでしょうか?

 

 

これが皆さんの最後の最期、死後の全てをお任せするに値するほどの説得力があるのでしょうか?

 

 

 

お盆とは

「盆と正月の里帰り」などといわれるように、お盆は昔から日本人の心に深く根づいた風習・行事で、古代インド語ウランバナの音訳、「逆さまに吊(つる) されるような苦しみ」を除く行事です。その由来は「盂蘭盆経」というお経によっています。

 

 

それによりますと、お釈迦さまの十大弟子で「神通第一」といわれる目連さまが、ある日、亡くなった自分の母親のことを神通力を使って見ていると、なんと母親は餓鬼の世界に落ちて、苦しみにあえいでいました。びっくりした目連さまは、お釈迦さまのところへとんで行き、どうしたらよいかを相談しました。

 

 

するとお釈迦さまは、「90日間の雨季の修行を終えた僧たちが7月15日に集まっ て反省会を行うから、その人たちにごちそうをして、心から供養しなさい」とおっしゃり、そのとうりにすると、目連さまの母親は餓鬼の苦しみから救われました。

 

 

お釈迦さまはさらに「同じように、7月15日にいろいろな飲食を盆にもって、仏や僧や大勢の人たちに供養すれば、その功徳によって、多くのご先祖が苦しみから救われ、今生きている人も幸福を得ることができ よう」とお説きになりました。

 

これがお盆の行事の始まりです。お盆には精霊棚を飾ってご先祖をお迎えし、菩提寺(ぼだいじ) の和尚(おしょう) さまに回向(えこう)していただき(棚経(たなぎょう) )、また菩提寺へ行ってお墓参りをして、数多くのご先祖を心からご供養いたしましょう。」と、

 

上記は浄土宗の公式ホームページには上記のとおり記載されています。

 

 

いかがでしょうか?

 

 

私たちの先祖、皆さんの先祖は本当に餓鬼の世界に落ちているのでしょうか?

 

 

はたまた今はどの世界にいるのでしょうか?

 

 

六道輪廻とは

天道
天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。
人間道
人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。
修羅道
修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。
畜生道
畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。他から畜養(蓄養)されるもの、すなわち畜生である。
餓鬼道
餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。
地獄道
地獄道は罪を償わせるための世界である。詳細は地獄を参照のこと。

 

このうち、地獄から畜生までを三悪趣三悪道、あるいは三悪、三途)と呼称し、これに対し修羅から天上までを三善趣と呼称する場合がある。また地獄から修羅までを四悪趣と称することもある。

 

また六道から修羅を除いて五趣(五道)と称すこともある。初期仏教では、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上を五趣とし、修羅はなかった。つまり五趣の方が六道より古い概念とされる。これは当初、修羅(阿修羅)が、天部に含まれていたもので、大乗仏教になってから天部から修羅が派生して六道となった。したがって、これらを一括して五趣六道という。

 

 

歴史

仏教成立以前の古代インド思想を起源とし、原始仏教においてはさほど重大な意味を為さない。体系化が進行したのは後代と考えられる。

 

インド・中国起源ではないが、日本では11世紀ころ、六道の各々に配当された六地蔵が各所に祀られ、大いに庶民から信仰された。

 

六道 - Wikipedia

地蔵菩薩 - Wikipedia

 

 

れらの世界へ私たちの先祖はどのような基準で行かされたのでしょうか?

 

皆さんはその基準を知っていますか?

 

次は天道に行く自身はありますか?

 

地獄道だったらどうしますか?

 

それともこの世で出家して、完全に「煩悩」を捨て去り、「悟り」を得て、「解脱」した状態になり、生きながらの「仏」になれますでしょうか?

 

お盆に、仏や僧や大勢の人たちに供養すれば、その功徳によって、多くのご先祖が苦しみから救われ、今生きている人も幸福を得ることができると昔から言い伝えで言われてきました。

 

仏や僧を供養すれば先祖が苦しみから救われ、今生きている私たちも幸福を得ることが本当にできるのでしょうか?

 

 

何回、お盆で供養すれば、その餓鬼道や地獄道に落ちている人が救われるのでしょうか?

 

 

一段階だけ上がるのでしょうか?

 

 

 

蔵菩薩の修行年数、

 

阿弥陀仏のいた年数、

 

極楽浄土までの距離、

 

六道輪廻

 

最新科学では宇宙はおよそ138億年前に誕生した。というのが通説です。

宇宙の年表 - Wikipedia

 

 

すべてが曖昧ではないですか?

 

 

 

昔の人が信じるのは、仕方がないでしょう

 

 

しかし現代の我々がこれをまだ信じるには根拠が曖昧過ぎます。

 

 

このことに日本人が命をあずけるのは非常に危険です。

 

 

皆様も本気になって調べる必要があるのではないでしょうか?

 

osusowake.hatenablog.com

 

 

使徒行伝 17章
1一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。
2パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、
3キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。
4ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。その中には、信心深いギリシヤ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。
5ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。
6しかし、ふたりが見つからないので、ヤソンと兄弟たち数人を、市の当局者のところに引きずって行き、叫んで言った、「天下をかき回してきたこの人たちが、ここにもはいり込んでいます。
7その人たちをヤソンが自分の家に迎え入れました。この連中は、みなカイザルの詔勅にそむいて行動し、イエスという別の王がいるなどと言っています」。
8これを聞いて、群衆と市の当局者は不安に感じた。
9そして、ヤソンやほかの者たちから、保証金を取った上、彼らを釈放した。
10そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。
11ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。
12そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。
13テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神の言を伝えていることを知り、そこにも押しかけてきて、群衆を煽動して騒がせた。
14そこで、兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して、海べまで行かせ、シラスとテモテとはベレヤに居残った。 15パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行き、テモテとシラスとになるべく早く来るようにとのパウロの伝言を受けて、帰った。
16さて、パウロアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。 17そこで彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。
18また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、「このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか」。また、ほかの者たちは、「あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい」と言った。パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからであった。
19そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、「君の語っている新しい教がどんなものか、知らせてもらえまいか。
20君がなんだか珍らしいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」と言った。
21いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである。
22そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。
23実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。 24この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。
25また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、
26また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。
27こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。
28われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。
29このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。
 
30神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。
31神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。
32死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った。
33こうして、パウロは彼らの中から出て行った。
34しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かあった。その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々もいた。

 

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