世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

神社とは 日本の神々とは What is a shrine?  With various Japanese gods

さんは神社に行く際はどういう時ですか?

 

私は初詣の際に以前は行っていました。

 

その年によって祈ることはいろいろでしたが、

 

「家族が健康でありますように」

 

「健康な子供が生まれますように」

 

「仕事が順調に行きますように」

 

「大学受験で志望大学に合格しますように」

 

過去にいろいろ神社やお寺に行っては、賽銭箱にいくらかのお金を入れてお願いしたことがあったと思います。

 

 

神社に行って、例えば、「家族が健康でありますように」と祈っている瞬間は、その人が本当に素直な心で祈っているならば、本当の神に近づいていると思います。

 

 

なぜその瞬間だけなのか?

 

 

それは日本人である私たちは、神がその神社にずっと居ると勘違いしているからだと思います。

 

ですから、神社でお願いをした後は、また神と別の生活、神が見ていない、自分の基準での生き方をするのではないでしょうか?

 

神は全知全能ですから、皆さんの思考、行動、全てをご存知です。神社の前だけ神妙な気持ちになっていたとしても、普段の生きている中で、「神が不在」という認識で生きているならば、それは神から離れていることになります。

 

ですので聖書ではまず神に立ち返りなさいと。

 

神を認識せずに生きていることを「罪」と認めなさいと、

神を認識せず、感謝せず人が生きることは「的外れ」だと

 

そして全ての人は生まれながらに一人として神を認識して生まれる人はいないと語っています。

 

 

ですので人生はまずこの神の存在に気づき、全てを創造された神、創造主に感謝するところから、「真の神と繋がった人生」となります。

 

 

 

現在、神社88000社 ちなみにお寺は77000寺

 

多いと言われるコンビニでも53000件

 

歯科医院でも69000院程です。

 

 

神社やお寺はこの過剰だと言われるコンビニや歯科医院よりも多いのです。

 

私は神社やお寺を否定も肯定もしません。

 

現に私がクリスチャンと自覚するまで、少なくとも年に一回や二回は行っていましたから。

 

しかし私がしてきた神社やお寺に対して払ったお金(お賽銭、七五三、お守り、おみくじ、安産祈願、厄払い)が全く意味のないものであったら、

 

私一人が支払った金額だけではなく、親や代々の先祖、あるいは地域の人々、更に過去に遡った全ての日本人が支払った金額が全く意味がなく、そこにいるとされている神社の神々、あるいはお寺にある仏や菩薩が何一つとして人々の願いを叶えていなかったなら、どれぐらいの損失であろうか?と考えてしまいます。

 

日本人は優しいですからお金を払って願いを祈り、その願いが叶えられなくても、神社やお寺に「お金を返せ!」という人はいないのではないでしょうか?

 

厄払いをしても、不幸なことが起こった方もたくさんいるのではないでしょうか?

 

しかし日本人は「あー、私の今までの行いが悪かったんだな」とか

 

「これくらいで済んだのは厄払いのおかげだ」といろいろ自分に折り合いをつけて自分で納得するのではないでしょうか?

 

お金を払ったから助けてくれる。

 

お金を払ったから守ってくれる。

 

 

本当の神様っていうのはそういうものでしょうか?

 

 

書の神は何より人の命は尊いものとされています。

 

皆様が神から離れたままでは天国に行くことができない。

 

つまり永遠の命が失われてしまいます。

 

人々の命を救うために、創造主ご自身の最愛の子である、同じように神であり、御子である、イエスキリストの命を私たちの人類のためにお与えになりました。

 

この「福音」を得たものは、すべてが救われます。そして生きている間も神と共に生きることで、その人は祈りや聖書を通じて、現実でも恵まれます。

 

そして福音を得た人は祈りを通じて、願いは叶えられます。

 

三位一体の神は多額の賽銭や献金よりも、一人の人が、「福音」を得て、救われることを何よりもお喜びになるのです。

 

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三位一体の神

 

 

 

ですから三位一体の神は、

 

お金を払わなくても、

 

信じた全ての人の願いを叶え、

 

全ての人を愛されます。

 

 

いかがでしょうか?

 

わざわざ行かなくてもいいんです。 

 

静かなところでひとりで祈れば、神に伝わります。

 

お金を払わなくてもいいんです。

 

反対に皆さんが福音を頂けるのです。

 

永遠の命が与えられるのです。

 

神の子とされるのです。

 

天国に行けるのです。

 

 

 

www12.plala.or.jp

 

 

神社の神々はどういうふうにして出てきたのかが記載されているのは日本では「古事記」「日本書紀」にあたります。

古事記』の成り立ち


古事記こじき)』が完成したのが712年(和銅5)。

太安万侶(おおのやすまろ)の序文(じょふん)には、
天武天皇(てんむてんのう)が、
舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえだのあれ)に命じて
誦み習わせた帝紀(ていき)と旧辞(きゅうじ)を、
天武天皇の没後に、元明天皇(げんめいてんのう)の命令で、
太安万侶が撰録(せんろく)し、
712年に進上した、と記されています。

帝紀とは、歴代の天皇の系譜。
旧辞とは、古い時代に、
各地の氏族に口誦で伝えられた様々な伝承のこと。

その系譜や伝承が、
一つの大きな物語として体系化されたのが、
天武天皇の即位後の7世紀後半ごろ。

その体系化された物語が、
日本の「歴史」として、文字に記録され
元明天皇に進上されたのが712年になります。


現存する最古の歴史書

710年に都が藤原京奈良県橿原市)から奈良の平城京に移されました。その2年後の712 年、太安万侶(おおのやすまろ)によって『古事記』がまとめられました。これは、7世紀後半の天武朝に天皇の命を受けて、稗田阿礼(ひえだのあれ)が習誦していた歴史を太安万侶が筆録したものです。日本の歴史を叙述したものとしては現存最古であり、日本の古代史を語る際には欠かすことのできない根本史料です。

神話が重視されている

古事記』は、神代から推古天皇までを紀伝体で記述しています。上・中・下巻の3巻から成っていて、このうちの上巻は神代にあてられており、神々の世界が描かれています。具体的には、天地開闢から始まって天孫降臨に至るまでが叙述されています。
このように上巻の出だしは天地が分離したことから始まっているわけですが、太安万侶が記した序文では、天地が未分離の状態から書き始められています。
しかし、いずれにしてもここから言えるのは、神話の比重が大きいこと。このことは神代の昔から葦原中つ国(地上の国)の支配者は天皇家であるということを強調していると思われ、ここにこそ『古事記』の最大の編纂意図があると言ってよいでしょう。 中巻は神武天皇から応神天皇までが記されています。この時代は、神武天皇の東征伝承や神功皇后のいわゆる三韓平定伝承などをみてもわかるように英雄的な天皇が多く登場します。
下巻は聖帝伝承で有名な仁徳天皇から推古天皇までのことが記されていますが、最後のほうになると記述がとても簡単になっていて、有名な聖徳太子の伝承などはほとんど記されていません。

 

『古事記』の成り立ち - 編纂1300年を迎えた【古事記の神話】

上記ホームページより抜粋

 

 

 

こで分かることは712年(今から1300年前)までは日本の神々はどのようにしてできたのかはっきり分かっていなかったということ。

 

つまり元明天皇の命を受けて稗田阿礼が誦み習わせた帝紀(歴代の天皇の系譜)と旧辞(古い時代に、各地の氏族に口誦で伝えられた様々な伝承のこと)を、太安万侶が撰録
天皇を神格化するために、その系譜や伝承が、一つの大きな物語として体系化されたのが、「日本の歴史」として、文字に記録されたものが古事記です。

 

 

www.buccyake-kojiki.com

 

 

日本最古の神社 である三輪神社を例にしてみると、


大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪にある神社。日本最古と思われる神社の一つ。

 

御祭神は大物主大神 初代神武天皇の義理の父(皇后 比売多多良伊須気余理比売の父が大物主大神)にあたる。とあります。

 

ではこの大物主大神がどんな神かというと

大物主 - Wikipedia

 大物主は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神である一方で、祟りなす強力な神ともされている。ネズミを捕食する蛇は太古の昔より五穀豊穣の象徴とされてきた。このことから、最も信仰古き神々の内の一柱とも考えられる。古事記によれば神武天皇の岳父、綏靖天皇の外祖父にあたる。なお、大国主の分霊であるため大黒天として祀られることも多い。

 

 

蛇神とあります。蛇の神様っているんですね。

 

3500年前に書かれた聖書では創造主が創造した第一の人アダム、そいてエバそのふたりを神から離すようにそそのかしたのはとあります。聖書では蛇は悪魔の象徴です。

 

 

 

更にこの 大物主は

古事記・神武記によると、三島溝咋(ミシマノミゾクヒ)の娘の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)が美人であるという噂を耳にした大物主は、彼女に一目惚れした。勢夜陀多良比売に何とか声をかけようと、大物主は赤い矢に姿を変え、勢夜陀多良比売が用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女がその矢を自分の部屋に持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれた。こうして生れた子が富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススキヒメ)であり、後に「ホト」を嫌い比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と名を変え、神武天皇の后となった。

 

 

 

 

日本最古の神社 である三輪神社に祀られている大物主大神が、このような由来があると知った上で拝んでいるのでいる人はいるのでしょうか?

 

皆さんはこの由来を知ってもなお、このような神に普段の感謝と願いを献げますでしょうか?

 

実際に古事記を読んでみると、とんでもない神々がいます。とても神とは思えないようなものまで

 

 

あくまで古事記日本書紀は、これまでに日本の歴史が記述されているものがなかったので、当時権力を持っていた天皇、そして権力を意のままに操った諸豪族によって編纂されたものではないでしょうか。

 

 

天皇を神の血統であることを主張するために、さまざまな神々を作り出し、その「神々のつながりがある天皇」とするために、「古事記」「日本書紀」は編纂され、そこで作り出された神々は、神社に祀られるようになったのだと思われます。

 

 

 

そして現代の我々庶民がどれだけ調べようとも、専門家たちが発信する、真実かどうか確認しようのない資料や発言をもとにしてしか知る方法がありません。

 

 

 

 

まで神社に真剣に感謝し、祈っていた気持ちで、本当に全てを創造し、当然、皆様のことを良くご存知で、皆様が戻ってくることを心待ちにされている本当の神にこれから感謝し、祈りを献げて下さい。

 

素直に神に立ち帰るならば、本当の神はあなたに必ず報いてくださいます。

 

 

 

聖書に、はっきりと

わたしのほかに神はない。

 

 と書かれています。

 

 

 

 

 

イザヤ書44章6節

「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない。 7だれかわたしに等しい者があるか。その者はそれを示し、またそれを告げ、わが前に言いつらねよ。だれが、昔から、きたるべき事を聞かせたか。その者はやがて成るべき事をわれわれに告げよ。 8恐れてはならない、またおののいてはならない。わたしはこの事を昔から、あなたがたに聞かせなかったか、また告げなかったか。あなたがたはわが証人である。わたしのほかに神があるか。わたしのほかに岩はない。わたしはそのあることを知らない」。 9偶像を造る者は皆むなしく、彼らの喜ぶところのものは、なんの役にも立たない。その信者は見ることもなく、また知ることもない。ゆえに彼らは恥を受ける。 10だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。 11見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。 12鉄の細工人はこれを造るのに炭の火をもって細工し、鎚をもってこれを造り、強い腕をもってこれを鍛える。彼が飢えれば力は衰え、水を飲まなければ疲れはてる。 13木の細工人は線を引き、鉛筆でえがき、かんなで削り、コンパスでえがき、それを人の美しい姿にしたがって人の形に造り、家の中に安置する。 14彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。 15こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。 16その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。 17そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、これに祈って、「あなたはわが神だ、わたしを救え」と言う。 18これらの人は知ることがなく、また悟ることがない。その目はふさがれて見ることができず、その心は鈍くなって悟ることができない。 19その心のうちに思うことをせず、また知識がなく、悟りがないために、「わたしはその半ばを火に燃やし、またその炭火の上でパンを焼き、肉をあぶって食べ、その残りの木をもって憎むべきものを造るのか。木のはしくれの前にひれ伏すのか」と言う者もない。 20彼は灰を食い、迷った心に惑わされて、おのれを救うことができず、また「わが右の手に偽りがあるではないか」と言わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

使徒行伝 17章
1一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。
2パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、
3キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。
4ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。その中には、信心深いギリシヤ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。
5ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。
6しかし、ふたりが見つからないので、ヤソンと兄弟たち数人を、市の当局者のところに引きずって行き、叫んで言った、「天下をかき回してきたこの人たちが、ここにもはいり込んでいます。
7その人たちをヤソンが自分の家に迎え入れました。この連中は、みなカイザルの詔勅にそむいて行動し、イエスという別の王がいるなどと言っています」。
8これを聞いて、群衆と市の当局者は不安に感じた。
9そして、ヤソンやほかの者たちから、保証金を取った上、彼らを釈放した。
10そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。
11ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。
12そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。
13テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神の言を伝えていることを知り、そこにも押しかけてきて、群衆を煽動して騒がせた。
14そこで、兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して、海べまで行かせ、シラスとテモテとはベレヤに居残った。 15パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行き、テモテとシラスとになるべく早く来るようにとのパウロの伝言を受けて、帰った。
16さて、パウロアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。 17そこで彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。
18また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、「このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか」。また、ほかの者たちは、「あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい」と言った。パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからであった。
19そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、「君の語っている新しい教がどんなものか、知らせてもらえまいか。
20君がなんだか珍らしいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」と言った。
21いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである。
22そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。
23実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。 24この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。
25また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、
26また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。
27こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。
28われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。
29このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。
 
30神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。
31神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。
32死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った。
33こうして、パウロは彼らの中から出て行った。
34しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かあった。その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々もいた。
 
 
 

 

 

 

 

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三位一体の神

神と人との交わりの基礎としての三位一体(Trinity) - 牧師の書斎

 

福音を受け取るためには

聖書では、この世界の全てのもの、宇宙や、自然や植物、動物、そして人間、ありとあらゆるものは神である創造主が創造されたと書かれています。

この全てのものを創造したのが創造主であることを認識しないで人間が生き続けることを「的外れ」つまり「罪」であると書かれています。

 

ローマ人への手紙1章

18神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。 19なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。 20神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物(あらゆる全てのもの)において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。 21なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。

 

 

そして人には神が皆さん一人、一人に備えた「良心」に反することも罪だと書かれています。

 

 

使徒行伝 24章

16わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心に責められることのないように、常に努めています。

 

 

今までに創造主を認識し、一度も良心に反したことがないという方はいらっしゃるでしょうか?(この世に罪をおかしたことがない人は一人もいないと聖書に書かれています。)

 

 

ローマ人への手紙 3章

10次のように書いてある、/「義人はいない、ひとりもいない。 11悟りのある人はいない、/神を求める人はいない。 12すべての人は迷い出て、/ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、/ひとりもいない。

 

私には、その罪があると認めることが救われる第一歩です。

 

へブル9章27節

人間には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっている

 

 

 

そして聖書にあるとおり

エスキリストが、わたしたちの罪のために死んだこと、

そして墓に葬られたこと

三日目によみがえったこと、

ケパ(弟子のペテロ)に現れ、次に、十二人に現れたこと

つまり、創造主である神がイエスキリストを復活させたことを心から信じ、

エスキリストが私の主であると口で告白すると救われます。

 

 

コリント人への手紙第一 15章2節

この福音によって救われるのである。

わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、

そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、

ケパ(弟子のペテロ)に現れ、次に、十二人に現れたことである。

 

 

洗礼をしたから救われるのではなく、善行を積み重ねることで罪が赦され救われるのでもなく

(福音を得てイエスキリストに従順を示すために洗礼を行います。イエスキリストの十字架の死によって、皆さんの罪が赦されます。)

 

 

 

三位一体の神創造主、御子イエスキリスト、聖霊)に対して心で信じ、口で告白することで、誰でも、いつでも、どこでも、ひとりでも、一円も払わずに救われます。

 

 

 

エスキリストが神であると心から信じた方は以下のとおり言ってください。

 


「イエスキリストは私の神です!」

 

ローマ人への手紙10章9節

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

 

 

 

今、声に出して言い表された方は救われました。

 

聖霊の働きがないと、心から口で言い表すことはできません。

 

 

神と共に永遠の天国に住むことを約束されました。

 

 

おめでとうございます!!!

 

 

(心を静めて、静かな部屋で、三位一体の神様がいると思って「イエスキリストは私の神です。」と口に出して言い表してください。 心から言い表すことができるのは神様の力が働いているからです。)

 

 

ローマ人への手紙10章13節

「主(イエス)の御名を呼び求める者は、すべて救われる」

 

 

 

 

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