世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

神社とは 神道とは 日本の神々とは

さんは神社に行く際はどういう時ですか?

 

私は初詣の際に以前は行っていました。

 

その年によって祈ることはいろいろでしたが、

 

「家族が健康でありますように」

 

「健康な子供が生まれますように」

 

「仕事が順調に行きますように」

 

「大学受験で志望大学に合格しますように」

 

過去にいろいろ神社やお寺に行っては、賽銭箱にいくらかのお金を入れてお願いしたことがあったと思います。

 

 

あ!聖書の神である創造主、私たちの主であるイエスキリストは私たちに、祈りを叶えるという理由で金銭の要求はしません。

 

 

もちろん病気にならないように、厄年に不幸にならないようにするためにお金をお求めになりません。

 

 

神とイエスキリストを「真に信仰する心」をお求めになるのみです。

 

 

しかし、神社に行って、例えば、「家族が健康でありますように」と祈っている瞬間は、その人が本当に素直な心で祈っているならば、本当の神である創造主に近づいていると思います。

 

なぜその瞬間だけなのか?

 

 

それは日本人である私たちは、神がその神社にずっと居ると勘違いしているからだと思います。

 

ですから、神社でお願いをした後は、また神と別の生活、神が見ていない、自分の基準での生き方をするのではないでしょうか?

 

神である創造主は全知全能ですから、皆さんの思考、行動、全てをご存知です。神社の前だけ神妙な気持ちになっていたとしても、普段の生きている中で、神が不在という認識で生きているならば、それは神から離れていることになります。

 

ですので聖書ではまず創造主である神に立ち返りなさいと。

 

神を認識せずに生きていることを「罪」と認めなさいと、

神を認識せず、感謝せず人が生きることは「的外れ」だと

 

そして全ての人は生まれながらに一人として神を認識して生まれる人はいないと語っています。

 

 

ですので人生はまずこの神の存在に気づき、全てを創造された創造主に感謝するところから、「真の神と繋がった人生」となるのです。

 

創造主である神は、創造主以外のモノを拝む、あるいは感謝することを大変お怒りになります。

 

 

全てを創造した創造主に感謝せずに、何も創造していない偽りの神を人が拝んでいるならば、その人に対してもお怒りになります。

 

 

何も創造していないモノが神のふりをしている。このことにも神はお怒りです。

 

 

そして、自然を通して、聖書を通して、創造主である神だということを現しているにもかかわらず、それを信じずに、偽りの神を信じている人に対しても神はお怒りになり、死ぬまでに創造主に立ち返らず、福音を得なかった者は、天国には行くことができません。

 

 神社に行っても本当の創造主である神はいません。

 

 

 

 

現在88000社 ちなみにお寺は77000寺

 

多いと言われるコンビニでも53000件

 

歯科医院でも69000院程です。

 

 

神社やお寺はこの過剰だと言われるコンビニや歯科医院よりも多いのです。

 

私は神社やお寺を否定も肯定もしません。現に私が真のクリスチャンと自覚するまで、少なくとも年に一回や二回は行っていましたから。

 

しかし私がしてきた神社やお寺に対して払ったお金(お賽銭、七五三、お守り、おみくじ、安産祈願、厄払い)が全く意味のないものであったら、

 

私一人が支払った金額だけではなく、親や代々の先祖、あるいは地域の人々、更に過去に遡った全ての日本人が支払った金額が全く意味がなく、そこにいるとされている神社の神々、あるいはお寺にある仏や菩薩が何一つとして人々の願いを叶えていなかったなら、どれぐらいの損失であろうか?と考えてしまいます。

 

日本人は優しいですからお金を払って願いを祈り、その願いが叶えられなくても、神社やお寺に「お金を返せ!」という人はいないのではないでしょうか?

 

厄払いをしても、不幸なことが起こった方もたくさんいるのではないでしょうか?

 

しかし日本人は「あー、私の今までの行いが悪かったんだな」とか

 

「これくらいで済んだのは厄払いのおかげだ」といろいろ自分に折り合いをつけて自分で納得するのではないでしょうか?

 

お金を払ったから助けてくれる。

 

お金を払ったから守ってくれる。

 

 

本当の神様っていうのはそういうものでしょうか?

 

 

書の創造主は何より人の命は尊いものとされています。

 

皆様が神から離れたままでは天国に行くことができない。

 

つまり永遠の命が失われてしまいます。

 

人々の命を救うために、創造主ご自身の最愛の子である、同じように神であり御子である、イエスキリストの命を私たちの人類のためにお与えになりました。

 

この「福音」を得たものは、すべてが救われます。そして生きている間も神と共に生きることで、その人は祈りや聖書を通じて、現実でも恵まれます。

 

そして福音を得た人は祈りを通じて、無料で、願いは叶えられます。

 

創造主である神様、そしてイエスキリストは多額の賽銭や献金よりも、一人の人が、「福音」を得ることを何よりもお喜びになるのです。

 

つまり本当にこの世界には、人も含めた全てのものを、初めから創造された創造主がいらっしゃると気づき、創造主を心から信じる信仰を求められるのです。

 

そして福音を得た人は「神の子」とされ創造主を父と呼び、その父である創造主は皆様の全ての願いを、御子であるイエスキリストのお名前によって叶えてくださいます。

 

 

ですから創造主とイエスキリストは、

 

お金を払わなくても、

 

信じた全ての人の願いを叶え、

 

全ての人を愛されます。

 

 

いかがでしょうか?

 

わざわざ行かなくてもいいんです。 

 

静かなところでひとりで祈れば、神に伝わります。

 

お金を払わなくてもいいんです。

 

反対に皆さんが福音を頂けるのです。

 

永遠の命が与えられるのです。

 

神の子とされるのです。

 

 

これからも、まだ、日常は自分の基準で、自分のやりたいように生き、

困った時だけ、神にお願いをするのでしょうか?

 

 

皆さんが反対の立場であったらどうでしょう?

 

普段はいてもいなくても良いという扱いをされ、しかし困ったときにはお願いをしてくる人がいたら

 

そういう人を皆さんは手助けしたいと思うでしょうか?

 

しかもお願いする人を間違えて、手助けしてくれない人(神社・お寺)に頼っているなら

 

仕方がないから今回は創造主が願いを叶えても、間違った何も手助けできない神社やお寺の神々に感謝しているのでは、本当の神である創造主は嘆かれるのではないでしょうか?

 

 

 

では神社には何が居ることになっているのでしょうか?

 

 

www12.plala.or.jp

 

 

神社の神々はどういうふうにして出てきたのかが記載されているのは日本では「古事記」「日本書紀」にあたります。

古事記』の成り立ち


古事記こじき)』が完成したのが712年(和銅5)。

太安万侶(おおのやすまろ)の序文(じょふん)には、
天武天皇(てんむてんのう)が、
舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえだのあれ)に命じて
誦み習わせた帝紀(ていき)と旧辞(きゅうじ)を、
天武天皇の没後に、元明天皇(げんめいてんのう)の命令で、
太安万侶が撰録(せんろく)し、
712年に進上した、と記されています。

帝紀とは、歴代の天皇の系譜。
旧辞とは、古い時代に、
各地の氏族に口誦で伝えられた様々な伝承のこと。

その系譜や伝承が、
一つの大きな物語として体系化されたのが、
天武天皇の即位後の7世紀後半ごろ。

その体系化された物語が、
日本の「歴史」として、文字に記録され
元明天皇に進上されたのが712年になります。


現存する最古の歴史書

710年に都が藤原京奈良県橿原市)から奈良の平城京に移されました。その2年後の712 年、太安万侶(おおのやすまろ)によって『古事記』がまとめられました。これは、7世紀後半の天武朝に天皇の命を受けて、稗田阿礼(ひえだのあれ)が習誦していた歴史を太安万侶が筆録したものです。日本の歴史を叙述したものとしては現存最古であり、日本の古代史を語る際には欠かすことのできない根本史料です。

神話が重視されている

古事記』は、神代から推古天皇までを紀伝体で記述しています。上・中・下巻の3巻から成っていて、このうちの上巻は神代にあてられており、神々の世界が描かれています。具体的には、天地開闢から始まって天孫降臨に至るまでが叙述されています。
このように上巻の出だしは天地が分離したことから始まっているわけですが、太安万侶が記した序文では、天地が未分離の状態から書き始められています。
しかし、いずれにしてもここから言えるのは、神話の比重が大きいこと。このことは神代の昔から葦原中つ国(地上の国)の支配者は天皇家であるということを強調していると思われ、ここにこそ『古事記』の最大の編纂意図があると言ってよいでしょう。 中巻は神武天皇から応神天皇までが記されています。この時代は、神武天皇の東征伝承や神功皇后のいわゆる三韓平定伝承などをみてもわかるように英雄的な天皇が多く登場します。
下巻は聖帝伝承で有名な仁徳天皇から推古天皇までのことが記されていますが、最後のほうになると記述がとても簡単になっていて、有名な聖徳太子の伝承などはほとんど記されていません。

 

『古事記』の成り立ち - 編纂1300年を迎えた【古事記の神話】

上記ホームページより抜粋

 

 

 

こで分かることは712年(今から1300年前)までは日本の神々はどのようにしてできたのかはっきり分かっていなかったということ。

つまり元明天皇の命を受けて稗田阿礼が誦み習わせた帝紀(歴代の天皇の系譜)と旧辞(古い時代に、各地の氏族に口誦で伝えられた様々な伝承のこと)を、太安万侶が撰録
天皇を神格化するために、その系譜や伝承が、一つの大きな物語として体系化されたのが、「日本の歴史」として、文字に記録されたものが古事記です。

 

 

www.buccyake-kojiki.com

日本最古の神社 である三輪神社を例にしてみると、


大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪にある神社。日本最古と思われる神社の一つ。

御祭神は大物主大神 初代神武天皇の義理の父(皇后 比売多多良伊須気余理比売の父が大物主大神)にあたる。とあります。

 

ではこの大物主大神がどんな神かというと

大物主 - Wikipedia

 大物主は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神である一方で、祟りなす強力な神ともされている。ネズミを捕食する蛇は太古の昔より五穀豊穣の象徴とされてきた。このことから、最も信仰古き神々の内の一柱とも考えられる。古事記によれば神武天皇の岳父、綏靖天皇の外祖父にあたる。なお、大国主の分霊であるため大黒天として祀られることも多い。

 

 

蛇神とあります。蛇の神様っているんですね。

 

3500年前に書かれた聖書では創造主が創造した第一の人アダム、そいてエバそのふたりを神から離すようにそそのかしたのはとあります。聖書では蛇は悪魔の象徴です。

 

更にこの 大物主は

古事記・神武記によると、三島溝咋(ミシマノミゾクヒ)の娘の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)が美人であるという噂を耳にした大物主は、彼女に一目惚れした。勢夜陀多良比売に何とか声をかけようと、大物主は赤い矢に姿を変え、勢夜陀多良比売が用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女がその矢を自分の部屋に持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれた。こうして生れた子が富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススキヒメ)であり、後に「ホト」を嫌い比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と名を変え、神武天皇の后となった。

 

 

こんなものが神なんですか?

 

このような神に普段の感謝と願いを献げる必要があるのでしょうか?

 

古事記を見るととんでもない神々がいます。とても神とは思えないようなものまで

 

 

あくまで古事記日本書紀はこれまでに日本の歴史が記述されているものがなかったので当時権力を持っていた天皇、そして権力を意のままに操った諸豪族によって編纂されたものであると思います。

 

 

天皇を神の血統であることを主張するために、さまざまな神々を作り出し、その「神々のつながりがある天皇家」とするために、「古事記」「日本書紀」は編纂され、そこで作り出された神々は、神社に祀られるようになったのだと思われます。

 

 

 

そして現代の我々、庶民がどれだけ調べようとも、専門家たちが発信する、真実かどうか確認しようのない資料や発言をもとにしてしか知る方法がありません。

 

 

 

 

皆様は今まで間違った神を拝んでいたのです。

 

拝ませられていたのです。

 

 

まで神社に真剣に感謝し、祈っていた気持ちで、本当に全てを創造し、当然、皆様のことを良くご存知で、皆様が戻ってくることを心待ちにされている本当の創造主にこれから感謝し、祈りを献げて下さい。

 

素直に神に立ち帰るならば、本当の神はあなたに必ず報いてくださいます。

 

 

使徒行伝 17章
1一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。
2パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、
3キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。
4ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。その中には、信心深いギリシヤ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。
5ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。
6しかし、ふたりが見つからないので、ヤソンと兄弟たち数人を、市の当局者のところに引きずって行き、叫んで言った、「天下をかき回してきたこの人たちが、ここにもはいり込んでいます。
7その人たちをヤソンが自分の家に迎え入れました。この連中は、みなカイザルの詔勅にそむいて行動し、イエスという別の王がいるなどと言っています」。
8これを聞いて、群衆と市の当局者は不安に感じた。
9そして、ヤソンやほかの者たちから、保証金を取った上、彼らを釈放した。
10そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。
11ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。
12そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。
13テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神の言を伝えていることを知り、そこにも押しかけてきて、群衆を煽動して騒がせた。
14そこで、兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して、海べまで行かせ、シラスとテモテとはベレヤに居残った。 15パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行き、テモテとシラスとになるべく早く来るようにとのパウロの伝言を受けて、帰った。
16さて、パウロアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。 17そこで彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。
18また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、「このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか」。また、ほかの者たちは、「あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい」と言った。パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからであった。
19そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、「君の語っている新しい教がどんなものか、知らせてもらえまいか。
20君がなんだか珍らしいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」と言った。
21いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである。
22そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。
23実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。 24この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。
25また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、
26また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。
27こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。
28われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。
29このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。
 
30神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。
31神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。
32死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った。
33こうして、パウロは彼らの中から出て行った。
34しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かあった。その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々もいた。

 

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