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世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

神の基準 人の基準 God's standard  Human standard

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の罪に対する基準とは、まず最初に神から離れていること、それが背いていることであり、罪であると聖書では語られます。

つまり、神の存在を完全に信じていない、神と共に人生を歩んでいないことが罪であると聖書の神は語られているのです。

 

一方、人間が罪と言われると思い起こすのは

例えば、殺人を犯す、人の物を盗む、などの法律を破るイメージではないでしょうか?

 

もちろんそれは大きな罪ですが、

 

ローマの信徒への手紙1章29

すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。 彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。

 

 

以上のように、例えばねたみを抱いても、不誠実であっても、親に逆らうこと

このようなことでも死に値すると書かれています。

 

今までに一度もこのようなことをしたことがないという人はいるのでしょうか?

 

 

ローマ信徒への手紙3章10

「義人はいない、ひとりもいない。 悟りのある人はいない、神を求める人はいない。 すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。 彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らのくちびるには、まむしの毒があり、 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。 彼らの足は、血を流すのに速く、 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。 そして、彼らは平和の道を知らない。 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。

 

以上のように全ての人は神の基準に達する人は一人もいないと聖書は語っています。

 

 

 そこで神は人々を、神の恵みにより、

神であり、神の御子である、イエスキリストがすべての人の罪の身代わりとなり、全ての人の罪を精算しました。

このイエスキリストを信じる全ての人が神から赦され、義とされました。

 

 

 ローマ人への手紙 3章19

すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。 それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。 すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。

 

 

福音とは、

人が創造主である神から背いていることを認め、神に謝罪し、再び神の元に立ち返ること

 

 また神であり、人としてこの世にこられたイエスキリストが、私たち全ての人の罪を、身代わりとして背負って下さり、十字架に架けられたこと。

そしてその、

イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたこと。

②墓に葬られたこと。

③3日目に復活し、多くの人の前にあらわれたこと。

 

以上のように

神がイエス・キリストを死者の中から復活させられたことを信じ

イエス・キリストが私たちの主であると公に

言い表すなら、

神から義(良しと)とされ、救われます。

 

そして神とともに天国で過ごすことのできる永遠の命が与えられます。

 

以上のことを信じると、

神と共に永遠に天国で過ごすことができることを知る。

 

これが福音です。

 

hukuinn.hatenablog.com

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携挙がある意味とは What is the meaning of rapture?

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ノアの方舟の際には神は人をノアの家族8人のみを残しました。

ノアの方舟とは余りにも世の人々が悪に染まっていたためにノアの家族以外の人々を滅ぼす計画でした。

全ての人を水において滅ぼすために神を信ずるノアに全長135メートルもある方舟作らせ、ノアの家族8人とその他動物のつがいを乗せすべての陸が神により沈められ、すべての人が滅ぼされました。

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携挙では真のクリスチャンがこの世から取り去られ

一度天に引き挙げられ、

過去にイエスキリストを信じ、亡くなったクリスチャンの方々

携挙の際に引き挙げられたクリスチャンの方々は

天でイエスキリストと共に7年間過ごします。

そして7年後イエスキリストと共に地上に降り、千年王国を築きます。

 

一方、携挙後の地上では、イスラエルと反キリストが7年間の平和条約を結び、そこから大艱難時代へと突入します。

 

ノアの時代には全ての人が滅ぼされましたが、大艱難時代にはまだ人は命を奪われていません。

 

つまりまだ、神へ立ち返れば、

エスキリストが神の御子であり、全ての人の身代わりとして十字架にかけられ、墓に葬られ、三日後に神が復活させられたことを信じることができれば、まだ天国への道、神とともに住む永遠の命への望みが残されているのです。

 

新約聖書には、福音を得たものは携挙によって引きあげられ、イエスキリストと会い、7年間過ごすことが書かれています。

一斉に世の中からクリスチャンが消えることで、本当に神が実在し、イエスキリストが神であり、神の御子であることがわかるのです。

 

いわば、神に立ち返るのか、悪に従い地獄に落ちるのかの最期の選択の時です。

 

しかしこれも神の最後の愛です。

 

携挙がなければ、神に立ち返ることもなく、イエスキリストを信ずることなく

ただ自己中心に生き、神ではない偶像を神としてしまった過ちに気付くことなく死んでいくことは、神から離れた永遠の地獄を意味します。

 

携挙は最後に全ての人が神に気づく機会です。

 

聖書にはヨハネの黙示録において7年間の大艱難時代の詳細な内容が書かれています。

大艱難時代においてイエスキリストを信仰することはまさに命がけです。

 

今は平和で安全な時です。しかし聖書ではそのような時代に不意に滅びが始まると書かれています。

 

私は今、大艱難時代に入るまでに福音を得られたことを心から神に感謝しています。

 

 

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真のクリスチャンとは What is a true Christian

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真のクリスチャンとは、

御父(創造主) 御子(イエスキリスト) 聖霊

が神であると信じる者

エスキリストが神の御子であり、私たちの主であると告白する者

神の性質である聖霊がその人に宿っている者

イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する者

聖書(旧約・新約)共に全てを信じるもの

聖書の御言葉を守る者(失敗しても反省し、守る意志があるもの)

携挙される者

 

 

 

真のクリスチャンでない者とは

エスキリストが私たちの神であり、主であると告白しない者

創造主だけが神であると告白する者

聖書(旧約・新約)の一部あるいはどちらかのみを信じる者

聖書の御言葉を守らない者

携挙されない者

 

 

 

 

 

ヨハネの手紙第4章

愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。 あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、 エスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。 子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。 彼らは世から出たものである。だから、彼らは世のことを語り、世も彼らの言うことを聞くのである。 しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。 神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。 わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。 もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。 わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。

 

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神が求めていること What God is seeking

テサロニケ人への手紙5章

 

兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。 あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。 人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。 しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。 あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。 だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。 しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。 キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。 だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。 兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、 彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。 兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。 だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

御霊を消してはいけない。 預言を軽んじてはならない。 すべてのものを識別して、良いものを守り、 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。 あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。 兄弟たちよ。わたしたちのためにも、祈ってほしい。 すべての兄弟たちに、きよい接吻をもって、よろしく伝えてほしい。 わたしは主によって命じる。この手紙を、みんなの兄弟に読み聞かせなさい。 わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。

 

 

 

書では神の求めることは明確に語られています。

真のクリスチャンは神の言葉を守ります。

 

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まだ福音を得ていない方に読んでいただきたい順番 Order you would like us to read those who have not got the gospel yet

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最も重要な掟とは What is the most important rule

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マタイによる福音書 22

「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。 これがいちばん大切な、第一の掟である。 第二もこれと同様である、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」

 

これが一番大切な掟だとイエスキリストは言われました。

 

全ての人が神に立ち返り、全ての人が自分を愛するように隣り人を愛することができる。

 

そのような人と神とが住むところが永遠の御国なのです。

 

この世にいる限り、肉の働きにより、人の努力だけではそうなることはできません。

 

神の性質である聖霊の働きで少しづつそうなるように変えていただけます。

 

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イエスキリストの初臨とは、再臨とは What is the first visit of Jesus Christ, the second coming?

 

 エスキリストの初臨とは

人の全ての罪の代償として十字架にかかることをわかっていた、神であり、人であるイエスキリストがはじめにこられたのが、今から2017年前です。(現在が2017年であるので)実際にはさらに4年前あるいは、7年前だとも言われています。

この神であるイエスキリストが初めて来られたことを初臨といいます。

 

 

エスキリストの再臨とは

またイエスキリストは再び来ると聖書には明確に書かれています。

これを再臨といいます。

つまり世界は西暦(A.D)を通して、キリストの再臨を数えていることになります。

もし今日、イエスキリストが再臨されたなら、2017年が主の日、主の再臨の年となります。

 

 

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