世界一簡単な福音の受け取り方 How to receive the simplest gospel in the world

このブログを読んでいただける皆様へ福音が伝わり、イエス・キリストの御名により、神の救いとめぐみが皆様にあたえられますように

原福音とは  

私は、宗教に勧誘しているわけではありません。

 

聖書の真実を知って欲しいのです。

 

聖書の内容を知って欲しいのです。

 

聖書をそのまま読むならば、聖書の創造主と神の御子であるイエス・キリスト聖霊が「福音」を得た人々に内住され、

福音を得、聖霊が内住した真のクリスチャンが創造主である神、そして神の御子であるイエス・キリストと直接つながります。

 

このことを知ってほしいのです。

 

そして皆様が福音を得て聖霊が内住し、聖書を読み、調べるならば、全ての真実がわかります。

 

ですので、聖書を読むことは宗教ではありません。

 

聖書という本を読み、理解し、本当の神をしることができる本が聖書です。

 

私たち人間を創造した神の教えを学ぶことが出来る本が聖書です。

 

 

 

いま現実に、怪しい宗教はたくさんあります。

 

皆さんも良くご存知だと思います。

 

 

私が望むのは、

神とイエス・キリストを信じ、福音を得て、聖書を皆様で読んでいただくだけです。

 

それだけです。

 

神の名を語り、人を惑わし、教祖が崇められる、

教団が大きくなること、教団の上層部だけが豊かになること、

政治や権力、メディアなどと癒着し宗教の名のもとに、政治力をも使って力を強める集団。

 

洗脳、出家、隔離し全ての富を教団に捧げないと幸せになれないと嘘、偽りによって人々を縛り付ける。

 

このような人を惑わすところは私が最も忌み嫌うものです。

 

皆さんもこのような集団、宗教をたくさんテレビや身近に目にしてきたので、「宗教」と聞くと拒絶反応してしまうのではないでしょうか?

 

「聖書」「キリスト教」と聞けば、

「〇ホバの証人(現も〇みの塔)」や「モ〇モン教(現末日聖徒〇エスキリスト教会)」、統〇教会(現世界〇和統一家庭連合)など悪いイメージがあるかと思います。

 

これらは、いわゆるカルトです。

 

このようなカルト教団は聖書の内容を捻じ曲げていますので、教団を信じても神から救われません。

 

教団や教祖にお金と時間を吸い上げられた末に、「聖書」が語る三位一体の神に救われることがありません。

 

 

f:id:yotutaka:20180320170738p:plain

三位一体の神 

 

 

 

聖書を読んで理解すれば、本当の創造主、イエス・キリスト聖霊につながります。そして救われます。

 

聖書をしっかりと読み、理解することが大事です。

 

そうすれば「世の中の欺(あざむ)き」に対抗できます。

 

変な宗教に引っかかることもありません。

 

そして将来どうなるかも聖書には書かれています。

 

聖書には、神の言葉が書かれています。

 

 

以下これは、はっきりと神が語っている言葉です!

 

イザヤ書46章9(紀元前700年 約2700年前)

 

遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。

ほかにはいない。わたしのような神はいない。

わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。

 

 

 

 

皆さん聖書と聞くとどんなイメージですか?

 

私は全くイメージがありませんでした。

 

イエス・キリストのこと、なんとなく道徳的に良いこと、などが書かれていると思っていました。

 

しかし、実際に読んで見て、調べてみると想像を絶することが書いてあります。

 

 

創世記第1章
はじめに神は天と地とを創造された。
 
こう書かれています。
 
どう感じますか? 
 
3500年前に作られた聖書のはじめにこう書かれています。
はじめに神が天と地を創造されたと書かれています。
 
 
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
 
そして第一の人も神が創造されました。
 

そしてその第一の人であるアダムとエバが蛇(悪魔)の誘惑に負け、神からエデンの園から追放されたと書かれています。

 

創世記3

主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。 わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。 つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

 

皆さんは初めてこれを聞いて何のことかピンとこないと思います。

 

「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」

 

特に上記は「原福音」と呼ばれ

「彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」とは、イエス・キリストが悪魔(サタン)の頭を砕きますが、同時にイエス・キリストもかかとにかみつかれるのです。これはキリストの十字架の受難です。

 

この蛇の頭を砕くとは致命傷であり、将来起こるキリスト再臨により、反キリストが滅ぼされ、イエス・キリストが治める千年王国へとつながります。

 

信じがたいとは思いますが、何千年も前に初めての人アダムが悪魔に誘惑され、その時に、全ての人を救うためにイエス・キリストが十字架に架かること、そして将来起こるイエス・キリストの再臨によって反キリスト(悪魔)を滅ぼすことが、創造主により宣言されました。

 

つまりイエス・キリストの十字架は歴史的事実ですから、将来のイエス・キリストの再臨も現実として起こります。

堕罪と原福音の預言 - 牧師の書斎

 

 

 

 

 

下は聖書に何箇所にも「悪魔」について書かれています。

ヨハネの黙示録 20:1

またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、 して、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。 また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。 (それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。 この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。 千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。 そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。 彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。 また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

 

 

ヨハネの第一の手紙 3:8

罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。 すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。

 

 

 

エペソ人への手紙 6

後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。悪魔の策に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、 平和の福音の備えを足にはき、 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。

 

 

 

ペテロの第一の手紙 5

そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。 あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。 また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。 そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。 同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。 だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。 あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。 どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。

 

 

エペソ人への手紙 4

さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、 できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、 平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。 からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。 しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。 そこで、こう言われている、「彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き、人々に賜物を分け与えた」。 さて「上った」と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。 降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。 そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。 それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、 わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。 こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。 また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。 そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める。あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。 彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、 自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。 しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった。 あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。 すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、 心の深みまで新たにされて、 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。 こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。 怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。 また、悪魔に機会を与えてはいけない。 盗んだ者は、今後、盗んではならない。むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。 悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。 神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。 すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。 互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。

 

 

 

ヨハネの黙示録 12:7

さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、と戦ったのである。もその使たちも応戦したが、 勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。 それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨハネによる福音書 14章6節

エスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父(御父)のみもとに行くことはできない。

 

 

 

ヨハネ福音書11章

エスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。

 

 

 

 

f:id:yotutaka:20180320170738p:plain

三位一体の神

神と人との交わりの基礎としての三位一体(Trinity) - 牧師の書斎

 

福音を受け取るためには

聖書では、この世界の全てのもの、宇宙や、自然や植物、動物、そして人間、ありとあらゆるものは神である創造主が創造されたと書かれています。

この全てのものを創造したのが創造主であることを認識しないで人間が生き続けることを「的外れ」つまり「罪」であると書かれています。

 

ローマ人への手紙1章

18神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。 19なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。 20神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物(あらゆる全てのもの)において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。 21なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。

 

 

そして人には神が皆さん一人、一人に備えた「良心」に反することも罪だと書かれています。

 

 

使徒行伝 24章

16わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心に責められることのないように、常に努めています。

 

 

今までに創造主を認識し、一度も良心に反したことがないという方はいらっしゃるでしょうか?(この世に罪をおかしたことがない人は一人もいないと聖書に書かれています。)

 

 

ローマ人への手紙 3章

10次のように書いてある、/「義人はいない、ひとりもいない。 11悟りのある人はいない、/神を求める人はいない。 12すべての人は迷い出て、/ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、/ひとりもいない。

 

私には、その罪があると認めることが救われる第一歩です。

 

へブル9章27節

人間には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっている

 

 

 

そして聖書にあるとおり

エスキリストが、わたしたちの罪のために死んだこと、

そして墓に葬られたこと

三日目によみがえったこと、

ケパ(弟子のペテロ)に現れ、次に、十二人に現れたこと

つまり、創造主である神がイエスキリストを復活させたことを心から信じ、

エスキリストが私の主であると口で告白すると救われます。

 

 

コリント人への手紙第一 15章2節

この福音によって救われるのである。

わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、

そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、

ケパ(弟子のペテロ)に現れ、次に、十二人に現れたことである。

 

 

洗礼をしたから救われるのではなく、善行を積み重ねることで罪が赦され救われるのでもなく

(福音を得てイエスキリストに従順を示すために洗礼を行います。イエスキリストの十字架の死によって、皆さんの罪が赦されます。)

 

 

 

三位一体の神創造主、御子イエスキリスト、聖霊)に対して心で信じ、口で告白することで、誰でも、いつでも、どこでも、ひとりでも、一円も払わずに救われます。

 

 

 

エスキリストが神であると心から信じた方は以下のとおり言ってください。

 


「イエスキリストは私の神です!」

 

ローマ人への手紙10章9節

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

 

 

 

今、声に出して言い表された方は救われました。

 

聖霊の働きがないと、心から口で言い表すことはできません。

 

 

神と共に永遠の天国に住むことを約束されました。

 

 

おめでとうございます!!!

 

 

(心を静めて、静かな部屋で、三位一体の神様がいると思って「イエスキリストは私の神です。」と口に出して言い表してください。 心から言い表すことができるのは神様の力が働いているからです。)

 

 

ローマ人への手紙10章13節

「主(イエス)の御名を呼び求める者は、すべて救われる」

 

 

 

 

f:id:yotutaka:20170419111227j:plain

 

 

 

 

 

hukuinn.hatenablog.com

hukuinn.hatenablog.com

f:id:yotutaka:20170522093012p:plain